「耐えることが得意ですから」白血病再発 大塚アナの闘病記

健康

更新日:2013/4/22

 4月からスタートしたフジテレビ昼の情報番組『アゲるテレビ』にて復帰予定だった大塚範一アナウンサー。残念ながら放送開始2週間前に白血病の再発がわかり、急遽降板したことはご存じの通りだ。

 その大塚アナが、白血病の宣告から現在にいたるまでをつぶさに書き綴った『耐えて、咲く』(講談社)が、4月11日に発売された。

advertisement

 煙草も吸わず、お酒も多くは飲まない。『めざましテレビ』を長く担当していたこともあり、当然ながら早寝早起き。毎年必ず人間ドッグを受け、週末には趣味のゴルフを楽しんでいたという“健康な生活”を送っていた大塚アナ。ガンに対しては構えがあったが、まさか「罹患率が数万人にひとり程度」と言われる白血病に罹るとは思わず、病名を聞かされたときは「茫然自失」だったという。

 白血病は、骨髄性とリンパ性に分かれるが、大塚アナは後者。長年、情報番組に関わってきた大塚アナは、「いろいろな例を」知っていた。たとえば、骨髄性に罹った芸能人には、本田美奈子や夏目雅子のように亡くなった人もいるが、渡辺謙や市川團十郎、吉井怜のように復帰を遂げた人も数多い。一方、大塚アナと同じリンパ性は、「お笑いコンビ・カンニングで竹山さんの相方だった中島忠幸さん」。「彼は残念ながら帰らぬ人になってしまったわけで、だから、この病気に罹った人の明暗が、はっきり分かれていることもよく知っています」という。

 だが、あえて病気についての情報は入れないようにしたという大塚アナ。理由は、「シビアなことを細かく知れば知るほど、明るく過ごしづらくなる」から。「明るい気持ちでいること」を大切にし、「暗い方向に気持ちが持って行かれないように」シャワータイムには歌を歌っていたそうだ。さらに、白血球が極端に減少する時期を除いては食事制限もなかったことから、食べることも楽しみのひとつに。お見舞いに訪れる人に「今日は鰻を食べたい」「しばらくパンを食べてないから、サンドイッチ系の、カスクートみたいなのを頼む」といった“うるさい注文”を出すこともあったという。

 また、見舞いでの贈り物でうれしかったのは、意外にも「着るもの」だったそう。高島彩からはピンクの、皆藤愛子からはグレーのカーディガンをプレゼントされ、それが「重宝」したとのこと。ちなみに、サッカー解説者の松木安太郎からもらったスタジャンは「検査で院内を移動するとき大助かりでした」と綴っている。たしかに病院着にスタジャンを羽織ると、気分も上がりそうだ。

 入院中は「温泉ゴルフおいしいもの」というフレーズが頭の中をぐるぐるしていたというが、それは“物事を考える余裕、気力がなかった”せい。それだけ「一生懸命、治療に耐えていくことで精一杯」だった。「自分が何か頑張ったからといって病気が治るわけじゃない。ただ現実を受けとめて、見えない未来の灯りを頼りに耐えるしかない」──この大塚アナの心情は、『めざましテレビ』のスタート当初、低視聴率にあえいでいたときに似ているという。“世の中には、頑張ってもどうにもならないことがある”。それをよく知っているから、「だから私は、病気に耐えられるんです」と大塚アナは書いている。

 「仕事をすることが自分の“希望”」という大塚アナにとって、復帰を目前にしての白血病再発の告知には、さぞかし悔しさや無念さがこみ上げたことだろう。それでも、あとがきでは「必ずまた戻ってきます」と宣言。「再発の治療は一層、厳しさを増すようですが、なにせ、私は“耐える”ことが得意ですから」と、その強くやさしい人柄を滲ませる言葉を綴っている。

 大塚アナの穏やかな語り口や笑顔に、どれだけの人が安心感を与えられてきただろう。テレビの前には、大塚アナの復帰を待ち望んでいる人がたくさんいる。その日が訪れることを、祈りつつ待っていたい。