堺雅人&菅野美穂夫妻は同じベクトルの語り系!?

芸能

更新日:2013/4/22

 先日、俳優の堺雅人菅野美穂の結婚が発表された。人気俳優同士の結婚ということで話題になったが、この2人の一連の著作や関連本を読むと、どちらも「演じる」ということに対して達観した域に入っており、共通した見解を語っていた。

 まず、菅野の関連本というと、真っ先に挙がってくるのが超売れっ子時代の1997年に出された、私生活然とした雰囲気のヘアヌード写真集『NUDITY』(インディペンデンス)である。宮沢りえが1991年に突如ヌード写真集『Santa Fe』(朝日出版社)を刊行して以降、人気絶頂の女優が脱ぐことには多少の免疫はできはじめていた頃だったが、それでも当時20歳になったばかりの菅野が豊満な裸体を晒したことは大きな話題になった。

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 だが菅野自身、20代の頃は自分のパブリックイメージのあり方について考え、悩むことも多かったようである。『NUDITY』から10年以上経った2010年に、自身の出演した映画の撮影や女性スタッフの秘話を収めた『カンノが、出会ったオンナたち 菅野美穂 meets 映画『パーマネント野ばら』』(ぴあ)では、その点について語られている。そして、さまざまな経験から、女優はあくまで“受け身”な存在であり、自分からイメージを作るものではない、ということ、そして映画やドラマは「原作や脚本、監督など、多くの人によって作られているものであり、自分は神輿の上にのっているだけ」(「」内は文中より引用)という境地に達したようである。取材等で「今まで演じてきた役柄で、どの女性が一番自分に近いですか?」と、よく聞かれるそうだが、その答えとして「なんだろう? マネージャーさんに聞かないと、分からないなぁ」と書かれている。

 一方、堺雅人については、2009年に刊行した『文・堺雅人』(産経新聞出版)が、タレントエッセイの域を越えたものとして、なかなかの好評を得た。『月刊TVnavi(テレビナビ)』(扶桑社)で1年間連載されたものにいくつかの書き下ろしを加えたその内容は、サブタイトルが「始」、「寒」、「憧」など毎回漢字一文字で示されており、執筆時に取り組んでいる撮影や公演でちょっと気になった事物を拾い上げては、それを芝居における真理に絡めていくというもの。堺自身がそういう性格なのかもしれないが、その導き方が押し付けがましくなく、ニュートラルな思考を感じさせるのが特徴となっている。

 特に面白いのが役作りについての見解で、事前に原作や元ネタの情報を収集してイメージを作って撮影に臨んでも、最終的にそのイメージ通りにはならないことの方が多いという(とはいえ、実際には毎回役どころの事前知識収集を熱心に行なっていることがうかがえる記述もある)。だから、自分が確実にできることは、台本を覚えて決められた時間に現場に行くことくらいであり、あとは監督の求めるように動くだけ。こちらも、菅野と同様に極めて“受け身”な姿勢なのだ。

 こうして双方の流れを追ってみると、ともに共通の真理に達していたことは、お互いが惹かれ合った因果と無関係ではないだろう。

 極めつけは、昨年11月に発刊された『日本映画navi vol.37』(産経新聞出版)で映画『大奥~永遠~[右衛門佐・綱吉編]』のプロモーションとして堺と菅野が一緒に受けているインタビュー記事。今読んでみれば、2人の良好な関係が一目でわかるほど演技に関する意気投合ぶりが綴られていた。

 他人様の恋愛事情ではあるが、ここまで自分の職業感について地に足の着いた見解を文章で語り、しかも同じベクトルを向いている芸能人というのも珍しいのではないだろうか。

 問題は2人の結婚が演者としてさらにプラスに作用していくかどうかだが、それは今後また2人がどこかで発した文章を読めば、きっとその答えが見えてくるに違いない。

文=キビタキビオ