「アンチ吉本」を公言! 吉本興業社長・大﨑洋の“問題社員”ぶりがすごい

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更新日:2013/5/20

 昨年、創立100周年を迎えた吉本興業。その現社長である大崎洋の評伝『笑う奴ほどよく眠る 吉本興業社長・大﨑洋物語』(常松裕明/幻冬舎)が4月に発売された。創業者一族と経営陣のあいだで繰り広げられたお家騒動や、社会に衝撃が走った島田紳助の引退といった話題についても触れ、その真実が赤裸々に語られている。

 こうしたワイドショー的なトピックも大いに興味深いのだが、じつはそれを上回るほどに面白いのが大崎の“破天荒”ぶり。いまは吉本を率いるシャチョーだが、ヒラ時代から超がつくほどの「問題社員」だったのだ。

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 たとえば、立ち上げたばかりのNSCでダウンタウンの2人と出会った際は、その漫才に才能を見出し、勝手に「俺がマネージャーするわ」と決断。担当を外されてもダウンタウンの番組会議に参加するべく、会社の決定を無視して東京に同行する。またあるときは、堂々と「アンチ吉本、アンチ花月」を標榜し、マネジメント責任者という任務があるにも関わらず「ソフト開発室」なる部署を半ば強引に新設。音楽ビジネスやゲームソフト開発、アジア進出を推進する。この傍若無人ぶりには社内も手を焼き、次々と左遷を命じられるのだが、そこでへこたれるようなタマではない。上司に怒鳴りつけられても「あ、ちょっといいですか?」と切り出し、「タバコ切れたんで、ちょっと取ってきますわ」と説教も早々に抜け出す始末。格好にしても取締役になる直前までロン毛にノースーツだったというから、内も外も規格外だったようだ。

 経営陣からすれば問題社員だったかもしれないが、その才覚はめっぽう鋭い。“生みの親”とも称されるダウンタウンにしても、大﨑が大事にしたのは“伝統的な笑いとは一線を画す彼らのスタイルをどのように伝えるか”ということ。そのためには「自由に力を伸ばせる“場”」が必要だと考え、芸人と寄せ集めのスタッフとともに劇場に寝泊まりしながら、新しい笑いづくりに邁進する。こうして誕生した「心斎橋2丁目劇場」の舞台は、若者たちを中心に社会現象化。冷ややかな社内の評価にも負けず、ダウンタウンを一躍スターに押し上げたのだ。

 また、「アンチ花月」を公言していたというのに、会社は大﨑に吉本新喜劇の改革を命令。もはや“左遷”というべき人事だったが、そこで腐ったりしないのが大崎の底力。低迷を続けていた新喜劇の再生案として、“スタッフも役者も全員解雇してゼロから再構築”“半年間でうめだ花月に18万人の観客が来なければ新喜劇はやめる”という「新喜劇やめよっカナ!? キャンペーン」をぶちあげるのだ。これには社内だけでなく世間からも大きな反発が起こるが、これも大﨑の想定内。いわば、現在のAKB48の“ガチ”感で社会を巻き込む手法と、アンチも話題づくりのひとつと考える“炎上商法”を、1989年に先取りしていたというわけだ。前出の「ソフト開発室」での仕事も、グローバル化やコンテンツビジネスの重要性をいち早く察知していたから成し得たことだが、いかに大﨑が社内政治よりも広い視野で社会を洞察することを大事にしていたかがよくわかるエピソードである。もちろん、この新喜劇再生キャンペーンは大成功。新生・新喜劇は全国にブームを巻き起こすことになる。

 会社に何を言われても信じたことは決して曲げない。社内の目を気にする暇があるなら外に目を向ける。──ときとして大﨑の振る舞いは組織人としてはあり得ないように見えるが、これこそがビジネスパーソンにとってもっとも大事な点なのではないだろうか。なぜなら、“やりたいことをやる”という信念を貫くことが、新しいビジネス、新しい文化を生み出すのだから。

 「自分はやればできる人間だ」と信じ込む“社二病”社員が増加中の現在だが、すべての働く人びとに本書を読んでみてほしい。仕事の本当の面白さに、きっと大崎の生き方が目覚めさせてくれるはずだ。