庶民化が進む? 最近の魔王や勇者たち

マンガ

更新日:2013/5/23

魔王──。言わずと知れた、悪魔、または魔物の王様。

 その響きからは、傍若無人で残酷極まりない悪の権化が想像され、圧倒的な力を誇る極めて難攻不落の存在というイメージが強い。姿形は人の想像の数ほど存在するが、古くから物語や言い伝えなどにその名が登場してきた。

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 そして勇者──。こちらは、文字通り勇ましい者として、悪に立ち向かっていくイメージである。古くは孔子の『論語』に「知者は惑わず勇者は懼れず」と記されるなど、単語としては随分前から存在していたようだ。

 この魔王と勇者の存在は、1986年に最初に発売されたファミリーコンピュータ用のゲームソフト『ドラゴンクエスト』が大人気となったあたりから、ファンタジー系ゲームや小説などにおいて多用されるようになったと思われる。勇者は戦士と賢者の要素をバランスよく織り交ぜるとともに、他者が得がたい特別な能力なども持ちあわせた物語の主人公であり、魔王は主人公の勇者が倒すべき最終目標、いわゆる“ラスボス”として君臨する。この図式は、今や説明の必要がないほどに浸透していると言っていいだろう。

 ところが、近頃はその不文律が狂い始めているようである。特にライトノベルの世界では、魔王や勇者が庶民化された作品が人気となっている状況だ。

 たとえば、今年1月にアニメ放送された『まおゆう魔王勇者』(橙乃ままれ/エンターブレイン)では、本来悪の権化としておぞましい姿をしているのが定番であるはずの魔王が、知性派の可愛い女性の姿をしており、戦いを挑んだ勇者に対して、無垢な色気を放ちながら世の中を変えていくために手を組むことを提案してくる。そして、力や魔力に頼らず、農業や経済を駆使して理論的に世界を良くしていくために、魔王と勇者は協力し合いながら互いに惹かれて行くという、これまでの王道とはかけ離れたストーリーとなっていた。

 また、現在アニメ放送中の『はたらく魔王さま』(和ヶ原聡司:著、029:イラスト/アスキー・メディアワークス)は、別の世界で本来の図式どおりに勇者と戦っていた魔王・サタンと腹心のアルシエルが異世界である現世に迷い込むというもの。しかし、この世界では魔力を蓄える術がなく、元の世界に戻る方法を探すまでの間、魔王は生きながらえるために言葉を覚えて安アパートを借り、ハンバーガーショップでアルバイトを始める。その後、魔王を追って勇者・エミリアもこの世界に降臨。互いに牽制し合いながらも、次第にこちらでの生活に馴染んでいく。

 さらには、すでに今後のアニメ化が決定している『勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました。』(左京 潤:著、戌角 柾:イラスト/富士見書房)では、とある異世界で勇者になることを目指して勇者予備校の首席で卒業した主人公ラウルが、なぜかマジックショップ(現世の家電量販店的なショップ)の店員としてレジ打ちや商品の陳列をしていた!? というのも、ラウルが勇者試験を受ける直前になって、なぜか魔人国が崩壊してしまい、その役目を終えたとして勇者制度が廃止されてしまったのだ。と同時に、武器や防具のメーカーも破綻して不景気となり、ラウルはこのショップを展開する会社にしか就職できなかったというワケ。そして、そのマジックショップに、今度は魔人国崩壊により行き場を失った魔王の娘たる美少女・フィノがアルバイトとして入ってきて、さらにハチャメチャな毎日に…という展開である。

 これらの作品は、すでに飽和状態になっていたコンテンツを逆手に取ったアンバランス感によって新鮮さを生み出されている。ファンタジー系における新たなシェアを生み出したと言ってもいいだろう。

 とはいえ、この流れは偶然なのか?

 魔王と勇者が真っ当に戦う王道的コンテンツが普通に流行っていた時代と現在とを改めて見比べると、政治、経済、環境ほか、様々な面で現在は明らかに混迷を極めており、実際、一般社会においても、繁栄を極めていた会社や業界が僅かな年月で急激に没落することは、以前より珍しくない光景となっている。魔王や勇者の庶民化も、そうした背景があるからこそ、妙にリアルに感じて共感されている部分はあるだろう。

 極論に過ぎないかもしれないが、エンターテインメントの世界においても、いや、エンターテイメントだからこそ、時代の流れと密接に関係しているのかもしれない。

 ラノベの流行も意外に深くてあなどりがたし! である。

文=キビタキビオ