“ぼっち”を恐れるな!? 「俺ガイル」で話題の“ぼっち理論”とは?

マンガ・アニメ

2013/7/2

 現在アニメ放送中の『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』。これは、ひねくれぼっちの高校生・比企谷八幡が「奉仕部」に入れられ、その部員である学校一の美少女・雪ノ下雪乃や由比ヶ浜結衣らとともに困っている人たちに手を差し伸べていくというお話。しかし、この作品で八幡がぼっちについて語る内容は、もはや“ぼっち理論”と言っても過言ではない。そんな彼のぼっち理論とは、いったいどんなものなのか。

 そもそも、“ぼっち”と聞くとみなさんはどんな印象を抱くだろう。いじめられっ子や変わっている子。いずれにせよ、ぼっちはかわいそうだと思っている人が多いのでは? でも、当の本人は意外とぼっちであることを悲観してはいないようだ。八幡に言わせれば、ぼっちになりたくないと思って人とうまくやろうとするのは、自分も相手も騙すこと。ひとりでだって楽しい時間は過ごせるのに、ぼっちはかわいそうな奴で変わらなきゃいけない存在だと思われることには納得がいかないようだ。「変わるなんてのは結局、現状から逃げるために変わるんだろうが。どうして今の自分や過去の自分を肯定してやれないんだよ」と言っているように、彼はぼっちの自分も自分として受け入れている。むしろ、「好きで一人でいるのに勝手に憐れまれるのもイラッとくるもんだよな」と思っているほど。彼はただ単に「ぼっちは可哀想な奴なんかじゃないと、ぼっちだから人に劣っているわけではない」ということを証明したいだけなのだ。こうやってぼっち側の意見を聞くと、今まで抱いていたぼっちのイメージとはがらりと変わるはず。

 また、ぼっちだからこそ身につく能力も実はたくさんある。「独りぼっちとは思考の達人だ」と八幡が言うように、ぼっちはひとりで過ごす時間が長いぶん、他の人が考えないようなことまであれこれ考えることができる。「他人に思考のリソースを割く必要がない」ことも、物事を深く掘り下げて考えられる要因かも。それに、周りの人のことも客観的によく見ることができるから、人の粗探しだって特技になるそうだ。そして、悪口や暴言への切り返し方と言うか折り合いのつけ方もうまくなるし、狸寝入りやひとり遊びもうまくなる。

 それでも、やっぱりぼっちは嫌だという人もいるだろう。だけど、コミュニケーションがとれるリア充が必ずしもいいというわけではないのも事実だ。彼らは沈黙や気まずさが嫌いで、誰かと2人きりになったら「何か話さないと」「仲良くしないと」という強迫観念に襲われる。とにかく孤独を恐れているのだ。でも、ぼっちは孤独をかっこいいとさえ思っているし、誰かと一緒でも「他人を見たら他人と思え」精神でいるから気まずくもない。それに、社会が厳しいので自分に優しくなれる。みんながもっと自分を甘やかして「みんなダメになればダメな奴はいなくなる」のだ。八幡が「彼らは弱いから群れとなって行動しているのだ」と言っているように、彼らは何かあったときに誰かを生贄として差し出す。「何食わぬ顔で草を食っているくせに、仲間を食い物にしている」草食動物と同じ。でも、そんな仲間内での駆け引きや争いもぼっちには関係ない。「みんながぼっちになれば争いも揉め事も起きない」のだ。

 八幡が語るぼっち理論は、ぼっちも目からウロコのぼっち最強説だった。これを読めば、ぼっちの見方が変わること間違いなし!

文=小里樹