さしこのくせに生意気だけど、指原莉乃は秋元康の後継者かもしれない(宇野常寛)

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更新日:2013/8/13

 あれから半月以上が経って、AKB48 32ndシングル選抜総選挙の結果についても語り尽くしたような 気がしている。今思うと、大島優子のような(あの前田敦子に唯一対抗し得た)超人を倒すには、単にアイドルをやっているだけではダメだったのではないか、とも思う。たしかに渡辺麻友は素晴らしいアイドルだ。限りなく完璧に近い。僕も大好きだ。しかし、今のまゆゆはアイドルと いうものの定義を更新しない。しかし、指原莉乃には(結果的にだが)それができる。あの優子を倒すには、言ってみれば裏道から入ることが、(いみじくも優子自身が述べたように)優子という絶大な壁を突破するには横からすり抜けていくしかなかったようにも思う。

 しかし、それが特別なことだとは僕は思わない。そもそも現代の情報社会に生きる僕たちは−─なんて書くと大仰だが、すっかりメディアを扱うこと、自ら発信することに慣れてしまった僕たちは──多かれ少なかれ誰もが消費者であるだけでなく発信者としての視点をもっている。 観客としてだけではなく作家や演出家としての目をもっている。だから、「キャラ」なんて奇妙な和製英語が定着して、「私って〜なキャラだから」とか「〇○さんは〜なキャラだよね」といったメタ言説が、まるで作家や演出家が劇中の登場人物を扱うかのような言説が、日常的な会話として成立している。僕たちは多かれ少なかれ、指原と同じ選手兼監督でありアイドル兼プロデューサーのメタ・プレイヤーなのだ。そして、AKB48が「会いに行けるアイドル」として、どこにでもいる、普通の女の子の魅力でファンを引き付ける装置だという原点に戻るのなら、絶世の美少女でもなければ歌や踊りが得意なわけでもない指原莉乃が、そのメタ・プレイヤーとしての資質で評価される(人気者になる)という現象は、まさにAKB48がこれまで目指してきたことそのものだ、という見方もできるはずだ。

 そして、ついでに言うとこれまでさんざん、頭の固い大人たちは高度資本主義を楽しく生きる僕たちをシステムの奴隷になっている愚民だと罵ってきた。選手は監督の、物書きは編集者のコマであり、そしてポケモンはポケモンマスターの奴隷であるというのだ。しかし誰もがメタ・プレイヤーである僕たちの代表でもある指原莉乃はアイドル兼プロデューサーとして民意を武器に、(本人の意図とは別に、結果として)恋愛禁止条例が象徴する既存のアイドル観とそれを支えるシステムを変えてしまった。(少なくとも大きな一石を投じたことは間違いない。) そう、 指原のセンター以降、これまでと同じように恋愛禁止条例が機能すると は考えられないだろう。(だからこそ、小林さんは指原の1位に激怒したのだ。) ポケモン兼ポケモンマスターであるメタ・プレイヤーはゲームのルールを、システムを更新し得るのだ。

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(ダ・ヴィンチ8月号 「THE SHOW MUST GO ON」より一部抜粋)

本記事の全文は下記のサイト、並びにダ・ヴィンチ8月号(メディアファクトリー)でお読み頂けます。
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宇野常寛
うの・つねひろ●1978年、青森県生まれ。
評論家。企画ユニット「第二次惑星開発委員会」主宰。総合誌『PLANETS』編集長。
著書に『ゼロ年代の想像力』『リトル・ピープルの時代』『日本文化の論点』、共著に『こんな日本をつくりたい』(石破茂との共著)『希望論』(濱野智史との共著)。