壇蜜の失恋を救った? インドカレーと「革命家」 その数奇な歴史とは?

社会

2013/7/25

 先日、壇蜜がブログで書いた文章が「失恋告白」として大きな話題となった。それは以下のようなものだ。

 「あんパンやカレーなどで有名な某“日本人に多い名字第8位”の屋号をもつ老舗店のカレーの基礎は、大きな聖なる川が流れるカレーの国から亡命してきたとある殿方の協力、監修のもと生まれたそうです。亡命というやんごとなき出来事がなかったら、今頃この店のカレーは生まれていなかったかも知れないのです」

 こう綴って、壇蜜は「つまり、私がその昔お尻が大きいという理由でフラれたこと」なども「やんごとなき事態のひとつひとつがなければ、今頃生きてはいなかったかも知れないのです。」というのだ。

 失恋告白と繋がりそうにない“カレーの国からの亡命者”の前振り。壇蜜の失恋による傷心を癒やしたともいえるこのエピソードには、じつは元ネタともいえる1冊の本がある。それが『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(中島岳志/白水社)だ。壇蜜の失恋をより理解するために(?)、本書の内容を紐解いてみよう。

 この本の主人公は、ラース・ビハーリー・ボース。彼は1915(大正4)年に日本に亡命し、新宿に本店を構えるパン屋・中村屋に“インドカリー”を伝授。いまやコンビニでレトルトパックが売られるほどの、新宿中村屋の看板商品である。

 しかし、ボースは日本にインドのカレーを伝えるために亡命してきたわけではない。じつは彼は「1910年代のインドを代表する過激な独立運動の指導者」だった。当時インドはイギリスの統治下にあり、その植民地支配に苦しめられていた。それに抵抗するため、ボースは独立運動を展開していたのだが、当時のインド総督に爆弾を投げつけるというテロを実行。イギリス側は多額の懸賞金をかけボースを捜索し、身の危険を感じた彼は身の安全と「武力革命のための武器と資金の調達」のために海外への逃亡を決心する。そこで目を付けたのが「日露戦争に勝利し、国力を高めつつあった日本」だったのだ。

 だが、当時の日本はイギリスの同盟国。来日早々にイギリス大使館に目をつけられ、国外退去命令が下された。このボースの窮地を救ったのは、かの有名な“右翼の大物”頭山満を筆頭とするアジア主義者たちだった。彼らは「日本国内の過激な自由民権運動」から、視野をアジアにまで広げ、「欧米列強によって虐げれているアジアの民衆への同情心と、ヨーロッパ諸国の植民地支配に対する義憤」を強めていたのだ。そして頭山たちの力を借り、ボースは新宿中村屋の敷地に身を隠すことに。

 この地下生活はボースにとって「相当の忍耐力を要する」ものだった。そんな中、唯一の楽しみとなったのが、食事をつくること。その様子を見ていた女中たちは次第にインド料理のつくり方を覚え、それは店主にも伝わるように。これが中村屋のインドカレーのルーツとなるのだ。その後、ボースは中村屋店主の娘と結婚し、2人の子どもにも恵まれ、日本に帰化。以降、ボースは日本のナショナリストや政治家、軍人と親交を深め、日本国内で大きな発言力を持つようになっていった。

 日本でもインド独立の必要性を説き、「日本における反英独立運動」を推し進めたボース。しかし、日本は“大日本帝国による植民地支配”という、インドを苦しめるイギリスと同じ道を進みはじめる。イギリスの植民地支配を批判しながらも、一方では中国を帝国主義的イデオロギーで支配しようとすることの矛盾。ボースを通して見えてくるのは、日本が突き進んでいった「大東亜主義」とは何だったのか、という問いかけだ。

 壇蜜が書くように、こうした「出来事」の果てにわたしたちは生きている。「恋と革命の味」と呼ばれる一皿のカレーの歴史から、いま、日本という国をあらためて考えてみることができそうだ。