人々の文化の窓口に。不況を跳ねのける福岡の名物書店

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更新日:2014/2/1

 『ダ・ヴィンチ』8月号では、誰でも一度は足を踏み入れたことがあるだろう“街の本屋さん”を特集。本が売れない、といわれる昨今だが、独自のテイストを貫いているご当地本屋さんを紹介している。福岡からは「独立開業をした私のような生き方も悪くはないよと、若者に伝えていきたい」と語る店長・大井実さんの営むBOOKS KUBRICを紹介している。

――出版不況とささやかれ始めた2001年4月、新刊書店としてオープンした「ブックスキューブリックけやき通り店」は、当時業界でも話題になり、今では全国的にも知られる存在となっている。今や福岡の街になくてはならない「ブックスキューブリック」だが、実は、当初、福岡にオープンする予定ではなかったという。「小学校に入るまでと、中3から高校卒業までは福岡で過ごしたけれど、福岡に戻ってくるという考えは全くなかったんです」と、店主・大井実さん。名門・福岡高校ラグビー部の主将を務めるなど、一見華やかに見える高校時代。「進学校の雰囲気に馴染めず、鬱屈していましたね。ずっと福岡から離れたいと思っていました。ラグビー中心の生活だったけど、本と映画とロックも大好きで。映画は年間50本以上見ました。今の仕事を運命づけたのはこの時期の体験でしょうね」。

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 高校を卒業した頃、実家が千葉に移り、大井さんは実家から離れるために京都の大学に進学。卒業後は海外からデザイナーを招聘してファッションショーなどのイベントを手掛ける財団法人に就職し、バブルの絶頂期の華々しく刺激的な時代を駆け抜けていく。「イタリアからくる人たちが凄く楽しそうだったんです。若いうちに海外に行きたいと思っていたので、会社を辞め、イタリアで暮らすことにしました」。大井さん、28歳のときだった。

 その後、イタリアで出会った彫刻家・安田侃氏のマネージャーを経て、野外能舞台「えにし庵」(大阪・四条畷市)の企画・運営などに携わる。「企画書を書いたり、イベントを仕込んだり、展覧会をしたり。やっていることは今も一緒です。ただ、イベント会場に来た人しか楽しめないことに、ちょっとした空しさも感じていました。人々の文化の窓口になれる仕事は何だろうと考えたとき、本屋をしようと思ったんですよ」。開業資金を貯め、全国の面白い書店を訪ね歩き、本を読んで研究し、コンセプトを企画書にまとめた。そして、開業の地は、友人も多く、よそ者を受け入れてくれる土壌がある札幌にしようとほぼ決めていた。そんなある日、友人から福岡での仕事を数日手伝って欲しいというオファーが入る。10年以上ぶりの福岡。ラグビー部時代の仲間が企画した飲み会で、奥様と運命的に出会い、3日後にプロポーズ。大井さんは、福岡で暮らすことになった。

 ここ箱崎店は2008年10月、リーマンショックの翌月にオープン。「もともとイベントをやっていた人間だから、やりたいことがいっぱいあって。そういう場所を持ちたいと思って開いたけど、再開発になったばかりで人の流れもできていなくて、いつ辞めようかと思い続けていましたね(苦笑)。だけど、ここへきて、お客様も増えてきたし、面白いスタッフが集り始めました。いい風が吹いていますよ」。

取材・文=寺脇あゆ子
(『ダ・ヴィンチ』8月号「わたしを本好きにしてくれた、わたしの街の本屋さん」特集より)