孤独死は本当に寂しい死に方なのか?

暮らし

更新日:2013/8/1

後期高齢化社会と呼ばれる現在、大きな関心事となっているのが「孤独死」の問題だ。とくに最近は単身者が増加していることから、高齢者に限らず、多くの人にとって他人事ではない状況。若い世代でも「ひとりでは死にたくない」といまから恐れている人も多いという。

 しかし、高齢者や社会保障を受けられない社会的弱者が“孤立”し、結果として死に至ってしまうというケースは無論別として、人がひとりで死ぬというのは、思い悩むほどに寂しいものなのだろうか。芸能人や作家などの“先に逝った人々”から死についてを見つめた『みんなの死にかた』(青木由美子/河出書房新社)から、ひとりで死を迎えた人々のケースを紹介しよう。

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 まだ記憶に新しい、女優・大原麗子の死は衝撃も大きかった。自宅で亡くなっているのを発見されたのは、死から3日後。死因は「不整脈による脳内出血」だった。NHKの大河ドラマ『春日局』やサントリーのウイスキーのCMなど、美しさのなかに愛らしさも感じさせた全盛期のチャーミングな大原のイメージが強いせいか、晩年“近所でも注目の人”“深夜にも構わず電話をかけていた”とワイドショーや週刊誌で報じられたときには世間は驚き、まさしく“たったひとりの寂しい最期”と受け取った人も多かっただろう。

 だが、弔辞では浅丘ルリ子が「(周囲の人々の)好意を一切受け付けず、拒否し続けるあなたの気持ちが私にはわかりませんでした」と述べたように、彼女には「受け止める人を求めていなかった」節もあるという。たとえば、大原の衣装部屋に貼られていたのは、<孤独な島は仲間を求めない。同類さえ求めない>というカルロス・カスタネダの詩だった。彼女は躁と鬱を繰り返していたといわれるが、著者は“誰にも受け止められない強い思いを持っていたから、自分一人で抱えようとした。だけれど溢れ出して、自分という「いれもの」が壊れてしまった”のではないかと綴っている。たしかに孤独な死ではあるが、そこには彼女の信念も隠されていたのではだろうか。

 一方、39歳という若さで亡くなった伝説のコラムニスト・ナンシー関の場合は、友人たちとの会食後、帰路のタクシー内で意識を失って、その後、虚血性心不全で病院にて亡くなった。ひとりで死を迎えただけではなく、何の死の準備も叶わなかったわけだが、「無防備な自己陶酔」を恥ずかしいと考えていたナンシーのこと、「仮に彼女が長生きをしたとしても、自分の死にかたや葬儀、墓を詳細に指示することは、気恥ずかしかったのではないか」と著者はいう。何より「ひとり=さびしい」という社会が信じる図式は、彼女にはあまりに似合わないし、陳腐にも思えてくる。

 このほかにも本書では、飯島愛や山城新伍、森茉莉、永井荷風などの「孤独死」のケースをはじめ、松田優作や逸見政孝などの闘病の果てに亡くなった人々、大滝秀治や新藤兼人などの大往生を遂げた人々など、さまざまな“死”が取り上げられている。ただ闇雲に孤独死を恐れるのではなく、自分は何をいちばんに恐れているのか──そのことについて考える時間は、きっと無駄にはならないはずだ。