ゴネるボン・ジョヴィを説得! ロックシーンの貴重なエピソードの数々

音楽

公開日:2013/8/2

 「ロック魂」を伝え続けて30年以上、ヘヴィ・メタルやハード・ロックのアーティストをいち早く日本へと紹介し、レコードやCDのライナーノーツを執筆し続ける「日本のメタル・ゴッド」である音楽評論家の伊藤政則氏。その伊藤氏が、なんと27年ぶりとなる著書『目撃証言 ヘヴィ・メタルの肖像』(学研パブリッシング)をリリースした。70~80年代のロックがまだ熱き時代に本人が目撃した、ファン垂涎のエピソードを書き綴り、アーティストとの写真やバックステージパス、名盤誕生の秘密なども続出する1冊となっている。

 本書は2013年、アメリカのコネチカット州のボン・ジョヴィへのインタビュー現場から始まり、ニューヨークへ、そして日本の伊藤氏の自宅のレコードなどの保管部屋へと移る。30年以上も眠っていた写真や資料を発見し、記憶は一気に1977年まで遡っていく。当時のイギリスではロック・シーンが空洞化し、伊藤氏はなんともいえない閉塞感を感じていたという。そこに現れたのが、新しいハード・ロック/ヘヴィ・メタルのムーブメントであったニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル(NWOBHM)であり、1979年8月20日、イギリスのミュージック・マシーンというライブ・ハウスで出会ったNWOBHMを代表するバンド、アイアン・メイデンであった。伊藤氏はそのときのことを「好きになったとかいう感覚ではなかった。強いて言うならば“慌てた”状態である。これは大変なことになった」と当時を述懐、自宅保管部屋から出てきたその時に録ったカセットテープには、名曲『アイアン・メイデン』が始まった瞬間、無意識に「オーッ!」と雄叫びをあげる自身の声が録音されていたそうだ。今もなお変わらずにアイアン・メイデンとコンタクトを取り続ける伊藤氏の「ファースト・インパクト」がどれほど凄まじかったのかがわかるエピソードだ。

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 そして時代は70年代から80年台へ、イギリスからアメリカへと移り、伊藤氏はボン・ジョヴィという若いバンドと出会う。そして1984年8月の「スーパー・ロック’84」で初来日が決まった。名古屋、福岡、大阪、そして東京の会場は西武球場だったが、東京の1日目にバス移動で遅刻したメンバーは、2日目には西武池袋線の特急「レッドアロー」に乗車、同じく会場へと向かうファンたちと一緒の列車(!)で移動したという。その会場で、ボーカルのジョン・ボン・ジョヴィは、レコード会社からライブで歌うよう言われていた、ファーストアルバムに収録されたカバー曲『シー・ドント・ノー・ミー』ではなく他の曲を歌いたいといって譲らなかったという。そこで伊藤氏がなんとかジョンを説得、無事に演奏されたという。当日MCを担当していた伊藤氏はボン・ジョヴィを「マイ・フレンド」と紹介、今も変わらぬ絆で結ばれている。

 その他、本書にはジューダス・プリースト、オジー・オズボーン、マイケル・シェンカー、スコーピオンズ、ラット、W.A.S.P.、ガンズ・アンド・ローゼス、エアロスミス、メタリカなどが登場、様々な裏話が満載だ。中でもオジー・オズボーンのギタリストであったランディ・ローズへの取材エピソードは、胸を抉るような悲しみを湛えている。伊藤氏がインタビューしたのは1982年2月23日。それから約1ヵ月の3月19日、ランディは飛行機事故で帰らぬ人となってしまった。往年のファンは涙なくしては読めない、貴重なエピソードだ。

 なんと今年還暦(!)を迎えたという伊藤氏だが、そのロック・スピリットはいささかも衰えていない。そして自身のサインに添えるという「Keep The Faith」の文言通り、今も熱き信念を守り続けている!

文=成田全(ナリタタモツ)