セックスは出世のあとで? 男子学生の「下半身」が抑圧されてきた歴史

社会

2013/8/8

 男子学生が思春期に抱く性的欲望というのは、とにかく否定される。「ダメ」「やめなさい」ばかりで、挙げ句の果てには「スポーツで発散しなさい」などと無茶なロジックを押し付けられる。「そんなもんで発散できるなら、運動部は全員発散できてるだろ!」なんて独りごちた人もいるんじゃないだろうか。

 どうしてなのか? その潮流は明治から昭和の初めにかけてにあるようだ。当時の男子学生の性がどのように扱われたのかを紐解く『立身出世と下半身 男子学生の性的身体の管理の歴史』(澁谷知美/洛北出版)を見ると、教育と医学が「若者の性の管理」に携わっていたという。

 教育はとにかく男子学生を「性」から引き離し、勉強させて立身出世させることに腐心していて、「うつつを抜かしているヒマはない!」と尻を叩いた。かの福沢諭吉の記した『品行論』は「男性の蓄妾や登楼といった性行動を“陋習”として戒める」……つまり愛人を持ったりフーゾクに行くという悪習慣をやめさせる、という内容だったそうで、これらを改めることは福沢のライフワークだったようだ。それは日本が「脱亜入欧」して世界の列強になるため、西洋から「日本は遅れている」と見なされないため(西欧はキリスト教なので、性のモラルに厳しい)に必要なことだったのだ。そして明治から昭和戦前期、働くのは基本「男子のみ」であったことも重要だ(女子は結婚して妻となり、子どもを産んで母となり、家事をして家を守るという考え方のもとに教育された)。

 また医学は、フーゾクに行くと花柳病(梅毒や淋病などの性病)になってしまうので、その最大の予防法である「そういう場所に近寄らない、そしてセックスをしない」という考え方を押し付けた。そして性欲さえも抑えこむ=オナニー禁止も命じた。オナニーをすると神経が衰弱し、病弱になって早老となり、頭脳が鈍化して記憶が衰退、男気・胆力剛健・進取の気性が失せて中性的な性格になる、と脅したのだ(なんと無茶苦茶なロジック!)。しかし「男らしさ」がなくなることは、当時の男子学生が最も恐れていたことであり、将来の立身出世や妻子との生活が達成できなくなるので、彼らは必死に我慢していたのだ。

 さらに「バレなきゃいいでしょ?」という輩に対しては、入試の際に行う「M検」が待っていた。全裸になった男子学生は、性器や肛門までを医者に見せ、花柳病にかかっていないかどうか触診された。これも合否に関わってくるので「バレたら大変」という恐怖心を植え付けられ、自己管理を強いられたのだ。当時の『螢雪時代』などの受験雑誌には、オナニーがやめられないとか短小包茎だけど大丈夫かなどの悲痛な叫びもあったそうで、その生々しい悩みも本書に掲載されている。

 「性的充溢=男らしさ」という考えがある一方で、大人たちは寄ってたかって脅しをかけ、働くための「生産する身体」に「性的身体」を従属させようとしてきた男子学生の「性」。「飲む、打つ、買うは男の甲斐性」という言葉がある一方で、厳重に性を取り締まられる男子学生は、自分の置かれた状況と世間との相反するイメージに煩悶してきたのだ。こうした「男らしさ」に対する旧態依然とした考え方は、まだまだ年長者を中心として残っているといえよう。数年前、あるレイプ事件について「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。まだ正常に近いんじゃないか」などと素っ頓狂な発言した政治家もいたことからも窺い知れる。しかし21世紀になり、確実に性に対する考え方は変わってきている。もしかすると、近年増えているという「草食系」は、こうした考え方に対する、新しい世代のひとつの回答なのかもしれない。

文=成田全(ナリタタモツ)