快適な「夏フェス」へ。日本のロック・フェス、成長の軌跡

音楽

公開日:2013/8/23

映画『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD 1987』予告編

 26年前、熊本・阿蘇の野外劇場で行われた日本初のオールナイトロック・フェス、「BEATCHILD」のLIVEドキュメンタリー映画『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD 1987』が話題である。伝説のLIVEの映像化を望む声に応えるべく、10月下旬から全国で上映されるという。豪雨の中立ち尽くすオーディエンス、雨に打たれ熱唱するアーティストの予告映像は実に印象的だ。

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 その映像と重なる光景がある。「BEATCHILD」から10年後の1997年、今から16年前に開催された「フジ・ロック・フェスティバル’97」伝説の第1回だ。

 レッド・ホット・チリ・ペッパーズやプロディジー等海外の錚々たるアーティストに加えて、日本からはザ・イエロー・モンキーやザ・ハイロウズなど、出演者すべてがヘッドライナークラスという日本初の大型野外フェス。筆者は夏のイベント取材の一貫として、ごく軽装で会場の天神山スキー場へと向かった。台風接近中のためビニールカッパを持ったがレインウェアではなく、足元は耐水性のない布地のスニーカーだった。メインステージ前のスタンディングエリア後方に立つと、ゆるい傾斜を感じる。ほどなく雨が降りだして足元が徐々にぬかるみ、強風で一気に寒さが増した。いやな予感がした。

 当時の状況を、主催するプロモーター、スマッシュの日高氏は自身の著書『やるかFuji Rock 1997‐2003』(日高正博/阪急コミュニケーションズ)に、こう記している。「自分たちは経験が足りなかったし、お客さんも経験がなかった」「<降りしきる雨にもかかわらず、お客さんの間から湯気が上がり始める。おれも、スタッフたちもとりあえず目の前にある仕事に取りかかったり、動いているんだけど、もうわけがわからなくなっていった…」。

 スタンディング慣れした外タレ好きの客と、特定のバンド目当ての女性ファンがステージ前に混在するという、危険な状況。小雨が土砂降りに変わっても、客が雨をしのぐ場所はない。救護所には体調不良になったずぶ濡れの客が続々と運び込まれる。トリのレッチリは嵐の中、70分の持ち時間を消化せずにLIVEを切り上げ、会場はゴミだらけの泥沼と化し、翌日の開催は中止となった。本書内の新聞記者によるコラムに<あの状況で、人が死ななかったのは奇跡と言っても過言ではない>と書かれたほどの壮絶さだった。こうして日本のロック・フェスは混乱と泥沼の中、スタートした。

 初回の反省を糧にフジ・ロックは改良されていく。洋楽系ロック・フェスに精通する記者・西田浩氏の『ロック・フェスティバル』(新潮社)によれば、フジ・ロックは最初の2回で天候問題や運営の混乱、参加者の準備不足によるトラブルが出尽くした。主催者側はゴミ回収システムなどの改善策を図り、参加者も、見たいバンドを全て見ようと望むのは正しい楽しみ方ではないことに気づき始める。現在の苗場に会場を移した3回目はフェス日和で、動員こそ過去2回に及ばなかったが、かつてのトラブルがうそのようにスムーズに運営され、“自然と共生した音楽祭”という日高氏の意図はひとまず達成されたと評している。

 定着から成熟へと歩み始めた日本のロック・フェス。『MUSICA』2013年6月号 Vol.74「永久保存版!日本のロックフェス50」(FACT)では、「徹底検証!」と題して編集部の対談でその変遷を概観している。イギリスの自然型フェスをロールモデルにしたフジ・ロックに対抗し、同じくイギリスの都市型フェスをモデルにサマーソニックが始まり(2000年)、フジを邦楽ベースでアレンジしたライジング・サン・ロックフェスティバル(1999年)が北海道で行われた。さらにライジングの関東版をイメージして始まったのが、ロック・イン・ジャパンフェスティバル(2000年)であり、現在日本を代表する4大フェスは連鎖的に興ったと言えるのだとか。

 一方で、参加者にとっては、長年暗中模索であった“野外フェスの過ごし方”。かつては天候も含め環境的にも体力的にも、予想を越える過酷さが否めなかった。しかし今は誰もが快適に楽しめる工夫がなされたフェスが増え、それはジャパンフェスによる「ある程度の自然が感じられつつ、インフラも快適なフェスづくり」の功績が大きいとのこと。実際、ジャパンフェスでは例年尋常ではない数のトイレが設置され、暑さ対策のスプリンクラーも増え、夜は移動通路の足元がライトアップされる。イベンターではなく、観る側と同じ目線をもつ主催者ゆえにユーザーフレンドリーなアイディアが豊富であり、現在の成功があるのだろう、という指摘もうなづける。

 フェスは徐々に快適さを増し、参加者も自分なりの楽しみ方を心得て、暑さと天候の変化への対策スキルが向上していく。好きな音を浴びながら野外を楽しむ祝祭空間は、今後もさらにそのあり方や役割が変貌していくのかもしれない。

文=タニハタマユミ