「~なの」「~だわ」…映画のヒロインがわざわざ「女ことば」を話す理由

映画

更新日:2014/1/29

 なぜ、洋画や海外文学に登場するヒロインは「~よ」「~だわ」「~かしら」と、やけに女を強調した話し方なのか……。こんな疑問を感じている人は、きっと多いはずだ。日常生活のなかで「きょうは私、お昼はお弁当なの。早起きでつらかったわ」だとか「どうして男って自分勝手なのかしら。ホントいやよ!」などと話す人はいない。もしもいたら、ちょっとコワイくらいだ。

 この大いなる謎の真相に迫っているのが、先月発売された『翻訳がつくる日本語 ヒロインは「女ことば」を話し続ける』(中村桃子/白澤社)。本書によれば、女ことばの文末詞「だわ、だわね」や、女の疑問表現とされている「かしら(ね)、わね、わよね、のよね」は、研究調査で実際にはほとんど使われていないことがわかっている。20代では「ほぼ消滅」状態にあるそう。いわば、現代において“典型的な女ことば”を話しているのは、翻訳された“日本人じゃない女性たち”となる。

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 ではなぜ、実際には使われていないことばで翻訳されてしまうのか。その理由のひとつは、典型的な言葉づかいにすることで登場人物のキャラクター描写を簡単にするため。わかりやすい例は、いわゆる“主人公を守り、育て、知恵を授ける年長者”のキャラクターの話す言葉だ。『鉄腕アトム』に登場するお茶の水博士や「ハリー・ポッター」シリーズのダンブルドア校長といった人物は決まって「わしは~じゃ」と話すが、実際に博士と呼ばれる人がこんな言葉を使っているところは見たことがないはず。しかし、“その人物が物語において特定の役割を果たすことを読者に知らせる”ために、実際には使われていないこの「博士語」は使われているのだ。たしかに、白ヒゲを蓄えた賢者が出てきて、私たちの日常と変わりない言葉を使っていたら、それはそれで“コレジャナイ感”を覚えるだろう。これと同じで、ヒロインを女ことばに翻訳することで、より女であることを強調できるわけだ。

 だが、博士語とは違い、女ことばの事情はさらに複雑だ。なぜなら「女らしい」とは言えない人でも、インタビュー記事などで「~よ」「~わ」という女ことばで翻訳されることがあるからだ。パリス・ヒルトンもレディ・ガガもアンジェリーナ・ジョリーも、おしなべて同じような女ことばで訳されることが多いが、本当にそんな話し方なのか疑問は残る。

 この理由を本書は、「日本では女性が女ことばを話していると強く信じられている」ため、翻訳家もその“約束事”に引きずられているのではないか、としている。また、非日本人女性の登場人物、なかでも西洋のヒロインたちが女ことばを話すのを長い間見てきたことも、“女ことばは当たり前”と捉えるようになっていることの要因として挙げている。これは、荒っぽい男性キャラが「~だぜ」と言ったり、キザ男なキャラが「~さ」と話すのと同じ構造だろう。

 最近では、和ませキャラとして方言をあえて使う“方言コスプレ”が流行ったり、「わたし」ではなく「うち」「ボク」などの一人称を使う女子たちが増えるなど、言葉は地域や性別の枠を超えて多様化している。それでもなお、「女の子ならこの言葉遣いを」という意識が広く共有される限り、絶滅したはずの女ことばは翻訳のなかで残り続けていくのかもしれない。