「この世は生きるに値する」 宮崎駿監督が影響された作家ロバート・ウェストールって?

映画

2013/10/3

 先日、引退会見を開いた宮崎駿監督。内外から600人を超える記者が集まり、質疑応答では作家の堀田善衛やダンテの『神曲』など様々な本から影響を受けたと話していたが、「僕は児童文学の影響を受けて業界に入った人間ですので、子どもたちに“この世は生きるに値するんだ”ということを知らせることが作品の根幹になければいけないと思っていて、それは今も変わっていません」と語っていた。中でも影響を受けたと話していたのが、作家のロバート・ウェストールだ。

 ウェストールは1929年、イギリス生まれの作家。美術教師として働きながら、一人息子のために書いた、1975年発表の『“機関銃要塞”の少年たち』(越智道雄:訳/評論社)がイギリスの図書館協会から贈られる児童文学賞「カーネギー賞」を受賞。55歳まで教師を続けながら執筆し、『かかし』(金原瑞人:訳/徳間書店)、『禁じられた約束』(野沢佳織:訳/徳間書店)、『海辺の王国』(坂崎麻子:訳/徳間書店)などの作品を発表、現代イギリス児童文学を代表する作家となり、1993年に死去している。

 宮崎監督は会見で「僕が好きなイギリスの作家にロバート・ウェストールがいて、作品の中に自分の考えなければいけないことが充満しています。この世はひどいものである、その中で“君はこの世で生きて行くには気立てが良すぎる”(注:これは『禁じられた約束』のセリフ)というセリフがあります。これは少しも褒め言葉ではないんです。それでは生きていけないぞという言葉なんです。それに胸を打たれました」と語った。

 宮崎監督は、1990年に日本で刊行された『ブラッカムの爆撃機』に惚れ込み、編者として『ブラッカムの爆撃機―チャス・マッギルの幽霊/ぼくを作ったもの』(金原瑞人:訳/岩波書店)をまとめ、ウェストールの故郷を訪ねて「ウェストール幻想 タインマスへの旅」という24ページの漫画をイントロに掲載している。

 その中でも「自伝的要素の強い作品」とウェストール自身が語るのが『水深五尋』(金原瑞人、野沢佳織:訳、宮崎駿:画/岩波書店)だ。物語の舞台は、第二次世界大戦中のイングランド北東部の小さな港町ガーマス。その街に住む、ガス工場で機械整備の仕事をする父と気むずかしい母のいる16歳の少年チャス・マッギルが本作の主人公だ。ある晩チャスは爆音に驚いて港へ行くと、貨物船がドイツの潜水艦Uボートに撃沈されるのを目撃する。その翌日、チャスは船が沈んだ河口で奇妙なものを見つける。それは通信装置で、この街にドイツ軍のスパイが潜伏しているのではと疑い始める。幼なじみや恋心を抱く上流階級の娘らとともにスパイ探しを始めるが、移民や階級社会などの様々な問題や、戦争の悲惨さや人間の弱さなどを浮き彫りにしていく。そして紆余曲折を経て、チャスはある事実を目撃する……。

 ちなみにタイトルの「尋」(ひろ)とは、尺貫法で主に水深を表すのに用いる単位で、一尋は約1.818メートルなので、五尋は約9メートルとなる(原題は『Fathom Five』で、これも水深測定用の単位で、1ファトムは約1.8288メートル)。深いようで意外と浅いこの水深、その意味を噛み締めながら本書を読み進めて欲しい。

 ウェストールの作品は戦争を描くことが多く、物語は皮肉やある種の暗さが支配している。そのテーマは主人公の年齢に近い若者にはひりひりするような感覚を、そして大人になった読者には、自分が大人になったあの日の気持ちを思い出させるような、少々苦味のある物語となっている。世界は矛盾に満ちている、しかしそれでも生きていく……そんなメッセージに溢れているのだ。

 そして宮崎監督による、いつものアニメとは違うタッチのラフな表紙や挿絵も見どころの『水深五尋』。引退宣言を撤回していつかアニメ化してくれないか……と夢想するのは、もう叶わない望みなのだろうか?

文=成田全(ナリタタモツ)