東京五輪の裏で問題続々……スポーツ指導者が暴力をふるってしまう理由

スポーツ

更新日:2013/12/4

自殺にまで発展した大阪市立桜宮高校のバスケットボール部や、女子柔道のナショナルチームなど、スポーツ指導者による暴力が問題になっている。先日も浜松市の高校で男子バレーボール部監督が部員に暴力をふるう様子が動画投稿サイトにアップされ、監督である教諭が懲戒免職になるなど、一向に後を絶たない。これだけ問題になりながら、なぜ日本のスポーツ指導者は暴力をふるってしまうのだろうか。

 この問題に切り込んだ新書『少年スポーツ ダメな大人が子供をつぶす!』(永井洋一/朝日新聞出版)によれば、もともとスポーツ選手やスポーツ愛好家というのは、心理学の調査では、社交性が豊かである一方で支配性や攻撃性も高いのだという。この支配性や攻撃性が、試合中にリーダーシップを発揮するなど、有効に働けば問題はないが、「弱者に対する横暴、身勝手、暴力的行為」などという悪い方向に表れることもある。

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 “スポーツマンシップ”という言葉があるように、スポーツには「明るさ、楽しさ、さわやかさ」といった好ましいイメージがある。しかし、本書は「それらは常に、暴力的な性質と表裏一体」という。そもそも、近代スポーツが成立する19世紀以前は、フットボール(サッカー)は怪我人どころか死者さえも出る粗暴なイベントであり、ボクシングは「素手で相手をとことん打ちのめすまで」闘われるようなものだった。いま、行われているスポーツというのは、こうした“血なまぐささ”“野蛮さ”を改め、合理的・科学的に整備されたものなのだ。──スポーツに潜んでいる暴力性や、指導者・選手・愛好者に潜む支配性、攻撃性をいかにコントロールするか。それこそが“スポーツの文明化”の程度を示しているというわけだ。

 それにも関わらず、スポーツ指導と暴力の話題になったとき、現役の競技選手から「叩かれるくらいは当たり前」と“半ば暴力を容認する”発言が聞かれることがある。これは日常的に暴力に接し、体験することで「暴力に対するハードルを低く」してしまっていることを示す発言ともいえる。暴力や暴言に対する抵抗感が少なければ、競技者から指導者になっても、それは繰り返されていく可能性は当然のことながら高い。こうした負の連鎖が、プロのアスリートから学校の運動部にまではびこっているのが現状だ。

 また、日本のスポーツ界では、相変わらず「根性」論が語られることも多い。「強い精神力」はアスリートにとって必須なものだが、それと「根性」は異なるもの。たとえば、根性を養うには心身を極限まで追い込むトレーニングが必要だとされているものの、そこに「心拍数や酸素摂取量、あるいは筋肉値」などの科学的根拠のある目標値が設定されることはほとんどない。ただひたすら苦痛に耐えることで、根性を身につける……。その指導法では「人間性を否定するような罵声」さえも正当化されてしまうのだ。著者いわく、この根性を鍛えることで身につくのは、その実「指導者の顔色を見ながら力を上手にセーブする」能力だという。これでは強いメンタルを養うことなど、到底叶わないはずだ。

 このほかにも、指導を受ける子どもたちが“マシン化”してしまう理由や、理不尽な指導者を支えてしまっている親の考え方など、現在のスポーツ指導の問題点を多方面からあぶり出している本書。オリンピック開催までに、日本はどれだけ“スポーツの文明化”を図れるのか……本書を読む限り、まだまだ課題は山積みの状態であるようだ。