破天荒で枯淡な人生、やなせたかしの「希望のありか」の秘密

マンガ

公開日:2013/10/31

  新宿は四谷3丁目にある、アンパンマンショップ。お店の入り口で両手を広げて元気に立つ、アンパンマンが目印だ。1階のショップはやなせたかし氏の直営店。そのビルに、かつて自分が勤務していた会社も入居していた。私たちは勝手に「アンパンマンビル」と呼び、雨の日も風の日も、アンパンマンを見ながら出社した。

 ショップの窓にはやなせ氏が書く「今月の言葉」が毎月貼り出され、出社するたび、出先から会社へ戻るたび、その言葉を見るとはなしに眺めていた。やなせ氏が作詞したアンパンマンのマーチ「そうだ うれしいんだ 生きるよろこび たとえ胸の傷がいたんでも」の歌詞のように、ときに心の奥底に響く言葉であり、アンパンマンビルで過ごした何年間かは「今月の言葉」に励まされていたような気がしている。

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 訃報を知り、ショップに行ってみると、窓には「元気ですので ご安心ください」と「10月の言葉」が。お店の方に「自伝的な本」を尋ねてみると、この2冊を勧めてくれた。

何のために生まれてきたの? 希望のありか』(やなせたかし/PHP研究所)。人物ドキュメント番組『100年インタビュー』(NHKBSプレミアム)をもとに原稿を作成、単行本化。最後まで自身の生きる意味を見つめていらした、著者らしいタイトルだ。

 本の冒頭で語られるように、番組収録時は93歳。目や耳が悪くなり、がんを患い腎臓は片方だけ、すい臓は1/3を切除。胆のうもなく、腸閉塞で腸を45㎝切り、心臓にはペースメーカーが入っているという壮絶な状態だ。しかし、そうとは思えないほど前向きな言葉がつまっている。心に残る言葉はたくさんあるが、特に印象的なものをご紹介しよう。

「現在と未来しかないの。
そうすると、現在とその未来を
なるべく楽しく、なるべく面白く、生きたほうがいいんです。
過去のことを、いくら考えてもしょうがない」

 引退したいと思った矢先に東日本大震災が起こり、引退を先延ばしにした。病気は、一病ではなく十三病くらいあるけれど、生きてる間はなるべく元気に、楽しく暮らしたいから、あくまで前向きに考える。倒れるのなら、前のめりに倒れたい。

「年をとったら、
おしゃれをすることは、とてもいいことです。
気持ちがシャンとするから」

 派手な服は、気持ちがシャンとしていないと着られない。おしゃれは気力。「もし、親子連れに写真を撮ろうと言われたとき、しょんぼりしたおじいちゃんに見えないように」と読者を気遣う心優しい配慮の人。

 そんなやなせ氏も、アンパンマンの大ヒットに至るまでには、苦しい助走の月日があった。40代後半までは、宣伝部員、雑誌の記者、舞台美術、脚本家に構成作家と、漫画家でありながらさまざまな仕事をこなし、自分の居場所を見出そうとあがいていたのだ。

 その半生は、もう1冊紹介された、『人生なんて夢だけど』(やなせたかし/フレーベル館)に詳しい。こちらは新聞連載された、誕生から現在に至るまでの半生をまとめた自伝的エッセイ。冒頭の「80歳を過ぎてから突然作曲を始め、84歳でCDアルバムで歌手デビューした」という、人生後半の意外な展開に驚嘆する。

 やなせ氏の生い立ちは、実は複雑だ。父は、大手出版社から大手新聞社勤務を経て、中国に単身赴任したエリート記者。その誇りに思える大好きな父は、32歳の若さで異国の地で急死する。そして、同行しなかった後悔の念が母のトラウマとなり、幸せだった少年の人生が変わり始める。

 いつしか祖母と本を読んで過ごすことが多くなり、自然と絵が好きな子に育つ。母の再婚を機に伯父の家に預けられて孤愁の思いを味わい、思春期は荒れた精神状態に陥った。自殺しようと線路に横たわったこともあったという。

 すさんだ少年の心は、東京高等工芸高校の図案科に入学したあたりから少しずつ変わり始める。学校が楽しく、毎日がワクワク。短い人生なら楽しいほうがいい! という、楽天的な人生観が芽生えてゆく。

 ところが赤紙が来て軍隊に招集、戦場を経験。特攻隊で戦死した弟は骨さえ戻ってこなかった。戦争は狂気だ。正義は常に逆転する。正義を行おうとすれば、傷つくことも覚悟しなければ。こうした経験が、アンパンマンの物語につながった。

  アンパンマン発表当時、周囲の評価はさんざんだった。しかしその後、徐々に巻き返してゆく、逆転人生が痛快だ。知られざる激動の人生。それが淡々と、ひょうひょうと、ユーモアを交えた乾いた筆致で綴られている。枯淡の境地は、決して寂しいものではない。見ようによっては、爽やかなものなのだなと納得してしまう。

 サービス精神が旺盛で、無理やりにでも、やせがまんしてでも、詩を書く、絵を書く、恥をかくの三かく主義。本書の最後の言葉に、思わず胸が熱くなる。

「人生なんて夢だけど、夢の中にも夢はある。
悪夢よりは楽しい夢がいい。すべての人に優しくして、最後は焼き場の薄けむり。
誰でもみんな同じだから焦ってみても仕方がない。
未来のことはわかりませんが、とりあえず、さようなら」

文=タニハタマユミ