特集 『探偵はBARにいる』の主人公が登場! 東 直己書き下ろし新作作品を無料公開

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2013/11/6


とある広場で“あの人”


今月の“あの人”は…<ススキノ探偵>シリーズ

『探偵はバーにいる』 東 直己 / ハヤカワ文庫

札幌の繁華街ススキノで探偵稼業を営む俺。今晩いきつけのバー〈ケラー・オオハタ〉で俺を待っていたのは原田と名乗る大学の後輩だった。聞けば、彼女が4日も帰宅しないという。気軽に相談にのったつもりの俺だったが、いつしか面倒な事件に巻き込まれていた──。見栄っ張りで女に弱い俺が札幌の街を奔走する新感覚ハードボイルド。シリーズ既刊12冊。2011年公開の映画『探偵はBARにいる』は第2作『バーにかかってきた電話』を、2013年公開の『探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点』は第5作『探偵はひとりぼっち』を原作としている。

<ススキノ探偵>シリーズ番外編

街で立ち上まる時【第一話】東 直己


©Tom Bonaventure

 雨期の首都は、蒸し暑いなんてものじゃなく、空気の中にびっしりと熱い水滴が浮かんでいるようだった。俺は、汗をぼたぼた落としながら、首都の夜を歩き回った。

 道端で、目のぱっちりした浅黒い肌の若い女性が、ぐっすり眠り込んでいる赤ん坊を腕に抱えて、ぼんやり座っている。赤ん坊の頭が、がっくりとのけぞっていて、首の骨がどうにかなりゃしないか、と心配になった。

 その女は、赤ん坊を抱えて道端に座り、タバコを売っているのだった。タバコはバラで新聞紙の上に並べてある。字は読めないが、1本単位で売られているらしい。1本買ってみようか、と思ったが、成田の免税店で買って来た俺のタバコは、まだ6缶残っている。これで4泊5日分の計算だ。……足りなくなるかもしれないが、これがあるうちは、のみ慣れないタバコを喫(す)う気には、ちょっとなれない。

 などとぼんやり考えながら(明確に考えるのは無理な湿気なのだった)眺めていたら、そこに5歳くらいだろうか、痩せて目のぱっちりとした、可愛らしい女の子が、口をモグモグ動かしながらやって来て、タバコ売りの女性の脇にコロリと寝転んだ。女性は、その女の子の頭の近くに、靴の模様が描かれた、靴墨か何かの空き缶を置いた。中には小銭が入っている。女の子は、ぐっすり眠っているふりをしている。作り寝顔が可愛らしい。

 俺は混雑する道の人波をかき分けて、大きな通りに出た。タクシーが道端に並んで駐まっている。適当に1台選んで助手席のドアを開け、運転手にメモを差し出した。この街に住んでいる知り合いが、「ここのホテルにいいバーがあるから」と教えてくれたのだ。運転手は室内灯を点けてメガネを取ってメモを読み、うんうん、と頷いて左手の親指を後部座席にグイと向けてなにか言った。要するに「乗れ」ということだろう。この国の言葉で「ありがとう」と告げて、後部座席に乗り込んだ。運転手はメガネをかけ直し、右手の指に挟んだタバコの煙を喫い込んだ。

 この国では、喫煙マナーが厳しくなっている、という話は聞いていた。公共の場所では当然どこでも禁煙。従って、タクシーの中も完全禁煙だとガイドブックには書いてあった。だが、運転手はいかにもうまそうにタバコを喫っている。俺は缶から1本取り出して、運転手の目をルームミラーに捉えて尋ねた。

「シガレット、OK?」

 運転手は困ったような表情になり、やや暫く考え込み、そして「スモーク?」と問いかけて、「OK、OK」と笑顔で言う。

 俺は火を点けて、肺に深々と喫い込んだ。

 運転手がミラーから俺を見て、「ジャパン?」と尋ねる。俺は、「イエス」と答えた。

「ジャパン、グッドスモーク。ジャパン、グッドスモーク」

 運転手はそう言って、左手で煙を自分の方に招き、香りを味わうような仕草をする。俺は缶から1本取り出して、差し出した。

「スモーク?」

 運転手は白い歯を見せて、にっこり笑い、「OK?」と尋ね、「サンキュー」と言って受け取り、火を点けた。

「グッドスモーク、グッドスモーク」

 運転手は繰り返した。俺は、自分の国の、自分が好きなタバコを誉められて、嬉しくなった。赤信号で車が停まった。缶にはまだ30本以上残っている。その缶を差し出した。

「プレゼント。ギフト」

 運転手は左肩越しに缶をぼんやり眺めていたが、不意に白い歯を見せてにっこり笑い、国の言葉でなにか言った。それから拝むように両手を合わせて、缶を受け取り、「サンキュー、サンキュー」と言った。それからまたこの国の言葉で何か言い、「スモークパーク、スモークパーク」と言う。よくわからないが、状況に身を任せることにして、「OK、OK」と答えた。

 で、連れて行かれたのが、街の真ん中の広い公園の一角、真っ暗な広場だ。周りに、エンジンを切ったタクシーが何台も駐まっていて、石積みの花壇や石でできた椅子などに、男たちが思い思いに座っている。照明は何もないのだが、首都の夜の街明かりが薄ぼんやりと届いている。運転手がなにか言い、俺のタバコの缶をみんなに回した。男たちは次々と手を出し、火を点け、笑顔になって語り出す。俺の方をチラチラと見ている。どうやら、俺をネタになにか笑い話をしているらしい。意味はわからないが、楽しい気分だ。俺もいっしょになってクスクス笑った。一服ひろばで笑い話。悪くないね。

 今年の7月、再び首都を訪れた。4半世紀ぶりだった。そのことに思い至り、自分の中で「4半世紀」という時が流れたことを思うと、めまいがした。ま、それはそれでいい。

 4半世紀ぶりの首都はまた雨期で、しかし、今年の湿度はそれほど高くなく、雨もあまり降らず、なにより街全体がとてもキレイで片付いていて、たとえば公衆便所も驚くほど掃除が行き届いていた。屋台は相変わらずだが、そこらのレストランなどは「ファミレス」風で、スタッフの制服も洒落ていて洗濯が行き届いていた。その代わり、ということでもないのだろうが、料理は解凍した冷凍食品の味がして、グルタミン酸ナトリウムと各種香料の味がして、日本の格安チェーンの居酒屋に入ったような気がした。

 そして公共の場所はほとんどが禁煙で、滞在中、1度もタバコを喫うことができなかった。もちろん、ホテルの部屋やレストランで喫うのはもってのほかだ。

 それはそういうものなんだろう。当然だ、とは思う。街がキレイになり、建物が新しくなり、屋台が減ってレストランは「オシャレ」になって冷凍食品を出す。ホームレスの姿がめっきり少なくなり、もちろん、タバコのバラ売りもなくなった。

 それはそういうもんなのだ、と納得するが、あの時の運転手は今、どうしているだろう。あの幸せそうな「グッドスモーク」の声と白い歯の笑顔を思い出す。

 まだ元気だろうか。

 あの時30過ぎだった俺が、今は60間近。あの運転手は? ……もう80近いのだろうか。

 そう思った時、あのバラのタバコ売りの女性が腕に抱えていた赤ん坊が、もう30近いのだろうな、と思い至り、まためまいがした。作り寝顔の女の子には、間違いなく子供がいるだろう。時の流れは、本当に素早い。

 あの運転手が幸せな老後を過ごしていればいいな、と思う。そして、絶対不可能だろうけど、彼といっしょにタバコを一服やりながら、片言の英語で語り合いたい、とこれは切実にそう思いながら、俺は4半世紀ぶりの小綺麗な首都をふらふらと歩き回った。

ちょっと一服ひろばへ

※リンク先の「ちょっと一服ひろば」は、満20歳以上のたばこを吸う方に向けたウェブサイトです。作品の他、たばこに関する情報が掲載されています。


あづま・なおみ●1956年、北海道生まれ。92年にススキノを舞台にした『探偵はバーにいる』で作家デビュー、同作に始まるシリーズほか、ハードボイルド小説で人気を博す。2001年には『残光』で第54回日本推理作家協会賞を受賞。近著に『探偵法間 ごますり事件簿』などがある。