アラフォー独女がのめりこむ「稼がない男」の魅力とは

恋愛・結婚

更新日:2013/11/12

「どうせいつもの自虐ネタでしょ」とタカをくくってタイトル買いした『稼がない男。』(同文館出版)が、思いも寄らず深い。この本を手にしてからというもの、私は自分と同じアラフォー独身女性たちに同書の存在を言いふらさずにはいられなかった。

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 女友達らははじめ、「やーだ。また、だめんずぅ? あんたも好きだよねぇ」とニタニタとページをめくる。この年齢まで独身の女というのは、腰まわり同様、神経も図太いし、ちょっとやそっとのことで気持ちが揺れることもない。そんな彼女らが同書を手にすると、「……私も買う」とみるみる顔から笑みが消える。

 フリーライターである著者・西園寺マキエさんと、給料が月に手取りで11万円のフリーターである恋人・ヨシオとの17年愛を綴ったノンフィクション。フリーの、フリーによる、フリーのための愛と幸せとカネと仕事と生活設計について深く考えさせられる作品となっている。特に未婚の非正規雇用者にはグサリと突き刺さる内容だ。

 著者の恋人である現在47歳の“稼がない男”ヨシオの“絶対的な自己肯定感”とふたりの深い絆に触れるうち、複雑にからまっていた心の糸が1本1本解けていく気がする。高給か低給か、正規雇用か非正規雇用か、既婚か未婚か、子持ちか子なしか、持ち家か貸しアパートか。ついうっかり幸せを測る尺度にしてしまいがちなカネに対して、驚くほどヨシオは無関心。そもそも金を稼ぐことに異常な拒否反応がある。それが時に著者をイライラさせたり、不安にさせたりするのだが、そんなヨシオと一緒にいるせいか、彼女自身も自分なりの落としどころを見つけるのがうまい。ふたりで行う“結ぽん式”がよい例だ。

 そして、周りの人たちも自分なりの価値観をしっかりと持っていて、心優しく魅力的。ヨシオとの晩酌が好きな同居の母親や自分の息子がフリーターとして生きることをあっさり受け入れたヨシオの母親、結婚観や将来像について熱い議論を交わす同級生ら、それぞれが手にしている環境のなかで、互いに信じる“幸せ”のかたちを模索している。

 負け犬、負け組、プア充、パラサイト。格差が広がり続けたこの10年あまり、自虐表現のために生まれた造語は数知れない。非正規雇用者であり、結婚適齢期を過ぎても未婚である人間にとって、引け目を感じざるをえない風潮は残っているし、著者が指摘するように組織に属すことが前提の国のシステムも一向に変わらない。でも、“稼がない男”ヨシオは、決してそんなことを不幸とは感じないし、むしろ周りのひとを癒し続けている。そして、そんなヨシオと共に生きる著者も「男は稼ぎそのものより、収支が大切」「“将来“の不安を何も感じていないヨシオは、見ようによっては“バカ”に見える。だけど、見ようによっては“強い”ようにも見えてくる瞬間がある」とふたりの関係を真剣に考えるうちに、独自の哲学を築いていく。

 「既婚者」と「正規雇用者」という2大ブランドを持ち合わせていない以上、親や友達に指摘される前に、自虐してヘラヘラ笑っていたほうが気は楽だ。それに慣れきっていたけれど、よくよく考えたらおかしな話。自らを虐げなければならない理由なんてどこにもない。

 震災後の精神的に辛い時期をヨシオの愛に支えられ、それまでの「なんとなく売れそう」な企画や「ここのところの流行り」の企画ばかりをまとめるスタイルから大きく方向転換し、自分が本当に書きたい企画だけを書こうと一念発起した彼女の筆は、そういった「引け目」や「迷い」が一切そぎ落とされている。安っぽい自虐表現を使っていないのが清清しい。

 「何が幸せか」の答えはいつだって、自分や自分の大切な人の中にある。読後は自己肯定感でいっぱいだ。

文=山葵夕子