『さよならドビュッシー』番外編が読める! 中山七里書き下ろし新作作品を無料公開

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2013/12/27


とある広場で“あの人”


今月の“あの人”は…『さよならドビュッシー』

新条 要(しんじょう かなめ)

『さよならドビュッシー』 中山七里 / 宝島社文庫

遥とルシアはともにピアニストを目指す従姉妹同士。彼女たちが同じ敷地内にある祖父の離れに泊まったある夜、離れは火事に見舞われ、祖父とルシアは帰らぬ人となってしまう。遥も全身にひどい火傷をおったが、奇跡的に一命を取り留める。祖父の莫大な財産をピアニストになることを条件に譲り受けることを知った彼女。その周りで不審な出来事が起こり始めて――。第8 回「このミス」大賞受賞作品。2013年1月に橋本愛主演で映画化。新条要は、遥の手術を執刀した形成外科医。

『さよならドビュッシー』番外編

煙よりも、軽く【第一話】中山七里


©Getty Images

 「主治医の居場所を今すぐ教えて」

 郁美(いくみ)が般若のような顔で尋ねると、ナースステーションの女性看護師は怯えながら喫煙所の場所を告げた。

 これが警察病院なら、もう少し自分の指揮系統が生きるものを――今更悔やんでみても仕方がない。容疑者が大怪我をしたため担ぎ込まれたのがこの救急病院だった。

 郁美は一階フロアを抜けて中庭に出る。そこはちょっとした広場になっており、中央に洒落たデザインの吸い殻入れが一台置いてある。〈一服ひろば〉と名付けられたその喫煙所では、ただ一人白衣の男が静かに紫煙をくゆらせていた。痩せぎすで黒縁の眼鏡、いかにも神経質そうな面立ち。聞いた通りの風貌だ。

「新条 要(しんじょう かなめ)先生ですね」

 声を掛けると、男は心底不愉快そうな顔をこちらに向けた。

「そうだけど、あんたは?」

「警視庁警備部の楠本(くすもと)郁美です」

 そう名乗ったが、新条は眉間に皺を寄せただけで再びタバコを咥(くわ)えた。折角の一服を邪魔するなと言わんばかりの態度だった。

「お医者さんなのにタバコ喫(す)うんですね」

 皮肉のつもりで言ってみたが、新条は顔色一つ変えない。

「手術中は緊張が一瞬も途切れることがない。終わったら一本だけやるのがわたしの流儀だ」

「医者の不養生とか言われませんか」

「ニコチンは元来、天然由来の成分でそれ自体に発ガン性はないと言われている」

「確か、喫煙者が肺ガンになる確率は非喫煙者の四倍というデータがありましたよね」

「あんなもの、データの取り方が杜撰(ずさん)なだけだ。昭和二十年代、成人男子の喫煙率は八十パーセントを超えていたが、それでも肺ガン患者は今よりずっと少なかった。タバコを喫ったからって必ずしも肺ガンになる訳じゃない。それより大気汚染の方を何とかするべきだろう」

 それが最後の一本だったらしく、新条は喫い終えるとポケットから空き箱を取り出して握り潰した。

「悪い癖だ。充分な検証もしないうちに気分だけで悪者を決めつける。攻撃対象を一つに絞っておけば楽だからな。後は言いたい放題、やりたい放題だ」

「……ところで容疑者はどうなりましたか」

「どうもしないさ。熱傷部分の皮膚移植は無事に終了した。術式にミスはない。後は本人の体力が術後のストレスに耐えられるかどうかだけの問題だ」

 全身表皮の三割を超えるⅢ度熱傷。本来なら死亡して当然のケースだが、この形成外科医は事もなげにその成果を語る。淡々とした物言いは己の外科技術に揺るぎない自信を持っているからだろう。病院長の弁によれば、過去にも体表面三十四パーセントの大火傷を負った十六歳の少女を見事に蘇生させ、あろうことかピアノコンクールで優勝するまでに機能回復させたらしい。

「それなら尋問できますね」

「まだ面会謝絶だ。警察でも特例は認めん」

 新条は冷たい目をして言い放つ。

「仮に意識が回復したとしても移植したばかりの唇は自由に動かん。指先もそうだ。意思の疎通はしばらく無理だろう」

 郁美は心中で歯噛(はが)みする。それでは容疑者を入院させた意味がない。決して安くはない手術費用を捻出したのは、容疑者から今回の事件の詳細を聞き出すためだ。生かしておくためではない。

 ふと、昨日の悪夢が甦る。

 午後二時、有楽町交通会館前の出来事だった。来月の都知事選を控え、真垣(まがき)総理が公認候補の応援演説に立った時、聴衆の中から選挙カーに向かって飛び出す人影があった。目撃者の話では、金髪で大男だったと以外に詳しい情報はない。とにかくその男が真垣総理に近づき、警護に当たっていた警備部の夏目(なつめ)巡査長がこれを止めた。男と夏目巡査長は倒れて激しく揉み合いとなり、他の警護が加勢しようとした時、いきなり男の身体が炎に包まれた。

 鑑識からの報告によれば男はペットボトル大の容器を抱えており、実はこれが手製の爆弾だった。スイッチを入れると中身が爆発する仕組みだが、揉み合っているうちに燃焼剤が男の着衣にこぼれて引火したらしい。つまり男は自爆テロを計画していたというのが、警備部の見解だった。

 咄嗟(とっさ)に距離を取った夏目巡査長は軽い火傷で済んだものの、警備責任者の郁美は警備部長と世論からの叱責で大火傷を負った。白昼、数千人を超える聴衆の面前で行われたテロ。警視庁の面目は丸潰れだ。犠牲になったのが容疑者本人のみであろうが、警備態勢の不備を責められても反論できる余地はなかった。

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※リンク先の「ちょっと一服ひろば」は、満20歳以上のたばこを吸う方に向けたウェブサイトです。作品の他、たばこに関する情報が掲載されています。


なかやま・しちり●1961年、岐阜県生まれ。『さよならドビュッシー』で、「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、2010年に作家デビュー。著書に、『おやすみラフマニノフ』『贖罪の奏鳴曲』『ヒートアップ』『切り裂きジャックの告白』『七色の毒』『追憶の夜想曲』など。