伝説の編集者・寺﨑央「日本で初めてリーバイス501を紹介した本を作った男」

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/22

MEN’S CLUB』『平凡パンチ』『POPEYE』『BRUTUS』……誰もが一度は見聞きしたことのある数々の雑誌で、編集・記事・構成・イラスト等を手がけ、40年以上も若者文化に多大な影響を与え続けて来た伝説の男がいた。2012年にこの世を去った史上最強の助っ人エディター・寺崎央である。

「カタログ文化」と呼ばれるほどに、モノの写真であふれる現代日本の雑誌。そのベースとなる『メイド・イン・USAカタログ』を寺崎氏が世に送り出したのは1975年のこと。

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1個のジッポライターを手に、「締まり具合がたまらなく精巧だ」「ネジとバネの具合がしっかりしている」などと、大人の男が2人、話し合っていたところから「メイド・イン・USA」というネタが生まれ、寺﨑氏にムック本の依頼が舞い込んだ。

編集者・石川次郎氏(『トゥナイト2』司会者)、カメラマン・馬場佑介氏と共に、寺崎氏はアメリカに渡った。1ヵ月、ニューヨークから西へクルマを走らせ取材を敢行。30代初めの3人の東洋人が、アポなしでアメリカのショップに乗り込み、半ば強引に店内で写真を撮りまくる。今から40年前のアメリカにおいて、その光景は異様だったに違いない。

そして刊行された『メイド・イン・USAカタログ1975』には、当時の日本では手に入らない品々が大量に掲載された。日本で初めてリーバイス501を紹介したのもこの本だ。このムック本は発売1週間で売り切れ、増刷。累計10万部の大ヒットとなった。

さすがに当時のムック本を入手するのは困難だが、『史上最強の助っ人エディター/H・テラサキ傑作選』(寺央、テラ本制作委員会/マガジンハウス)にはその記事が数ページ分掲載されており、そのレイアウトやアイテム写真の見せ方、コピーのフレーズなど、40年経った今でも色褪せない魅力があふれている。

というか、このムック本が今、ピカピカの状態で書店に並んでいたとして、それが40年前のモノだと気づく人はいないのではないか、と思えるほどにコンセプトが見事に体現され、完成されているのだ。だが、この『メイド・イン・USAカタログ1975』は寺﨑氏の代表作のひとつに過ぎない。

22歳で婦人画報社に入社、『MENS’CLUB』編集部に配属され、そのキャリアをスタートさせた寺﨑氏は、26歳でフリーとなって『平凡パンチ』に参加する。

「本能のままに、作りたいから作っちゃう」というスタンスで、次々と新しくて面白いモノを生み出して行く寺﨑氏。

1970年には『ホリデーグラフィック』という叢書の構成・文・デザインすべてを手がける。その第1弾『fuck 燃えるパーティー(加納典明写真集)』は、いきなり発禁処分を食らい、その後、『BODY 一村哲也写真集』『レノンとヨーコ』を刊行するも、シリーズは3冊で終了するという、伝説を持つ。

平凡パンチ』では、編集長の反対を押し切り、誌面を横にしたレイアウトで全68ページにも渡る「SPAIN NOW!」というスペイン一周ドライブの記事を掲載したり、『ザ・モーター』では、自動車の新聞・雑誌なのに「MEN’S COOKING」と題した料理記事を自らのイラストと共に掲載したり、とにかくありとあらゆる方面に好奇心を抱き、それを形にして行った寺﨑氏の記事の数々が、本書にはギッシリ詰まっている。

石川次郎氏が「これから編集者を志す人にはこの本をぜひ読んでもらいたい」(夕刊フジより)と語っているように、寺﨑氏の記事のひとつひとつが、彼のバイタリティ・好奇心・工夫に満ちた記事となっていて、まるで読者への挑戦状のように、未知への招待状のように感じる。

69年という短い生涯を駆け抜けた寺﨑氏を偲びながら、記事に込められた“熱”を感じたい。

文=水陶マコト