直木賞作家・桜木紫乃に表現を与えた一人のストリッパー 桜木紫乃に表現を与えた一人のストリッパー

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/22

直木賞受賞作となった『ホテルローヤル』で一躍、ベストセラー作家になった桜木紫乃。既成の幸福ではない、それぞれの幸せを透徹な視点で見つめ続ける彼女をつくったものとは? 『ダ・ヴィンチ』2月号ではその作品と彼女のすべてに迫っている。

新人賞受賞から5年半、書いても書いても活字にならない雌伏の時代、桜木さんは、今につながる運命的な出会いを果たす。きっかけは、たまたま目にした北海道新聞の、ある人気ストリッパーのインタビュー記事。そのなかでとくに衝撃を受けた“自分という原石を磨くのは自分だけ”という言葉――。どうしても、この人に会って話を聞きたい。桜木さんは矢も盾もたまらず、出版社のツテを頼り、彼女への取材を頼み込んだのだという。

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「それまでストリップというものは男の人が行くものだと思っていたんですけれど、彼女のその言葉に圧倒的な気概を感じて劇場に行きました。それはもう美しいとしかいいようのない世界だったんですね。それでどうしても彼女のことが書きたくなって、取材にうかがったら、彼女はやはり、その記事通りの人で。開口一番、“桜木さん、私のことを鬼とも悪魔ともどうぞお好きなように書いてくださってけっこうです。表現者としてできる限りの協力をします”と言ってくださった――。私はそのとき初めて、“表現者”という言葉にも出会ったんです。私もこんな人になりたいと、心から思いました。ストリップと文章と、表現は別だけれども、私もいつかこんな表現者になりたいと思ったんです」

ひとりの稀有なストリッパーとの出会いで開かれた表現者としての目――。その後、桜木さんは、写真家のマイケル・ケンナや森山大道をはじめ、さまざまなジャンルの表現者から、多大な刺激を受けたのだという。

「たぶん、私が思う表現者というのは、そのためにどれだけひそかに血を流したか、ということ。だから、ストリッパーにしろ、音楽家にしろ、どんなジャンルでも私が惹かれてしまう人は、“孤独”と“予感”を持っている。写真でいえば、マイケル・ケンナと森山大道のおふたりは作品を見るたびに刺激を受けるんです。一見、まったく正反対の世界を写しているようだけれど、私には同じものを表現しているように思えてしかたがない。たとえばマイケル・ケンナのモノクロームの風景写真は、まさに人間の心そのもの、撮る側の孤独と救いを映し込んだ心象風景だと思うんですね」

何十時間もじっとカメラを露光し続け、この世のものとは思えないほど美しく静謐なモノクロームの風景を写しとるマイケル・ケンナ。あるものの姿を、粗暴とも思えるほどのスピード感で鋭くえぐりとる森山大道。たしかに、そのふたりの写真家の作品は、一見、真逆である。けれども、そのふたつと桜木さんの小説の人間描写に、通じるものがあると感じる人は、きっと少なくないだろう。

「小説も、先程の『透光の樹』だけでなく、いろいろな作品から学ばせていただきました。14歳のとき、実家の2階に下宿していた大学生が置き忘れた段ボールいっぱいの本を夢中で読み耽ったのとは違った方向で、小説を読んでいました。たとえば伊集院静さんの『羊の目』で、自分がずっと考え続けてきたことというのは“幸せの価値観というのは、人それぞれだ”ということだったんだと教えてもらったのも、この頃のことでした」

特集では、“ホテル屋の娘”だった彼女が得た“書く”という表現手段、深い葛藤の末に作品へと昇華させるに至るまでの道について語っている。彼女をかたちづくった本や映画の紹介も見逃せない。

取材・文=藤原理加/ダ・ヴィンチ2月号「桜木紫乃という女」特集