「いいね」を求め過ぎるのは病気? 承認欲求が強すぎる若者たち

社会

2014/1/15

 今日は何をしたとか、誰と遊んだとか、わざわざSNSに投稿する意味があるのだろうか。「そっと心に秘めておけば良いのに」「FacebookとTwitterだとキャラが違う」等と違和感を覚えた場面も少なくはないだろう。どのような内容ならば「いいね」数を稼げるか考えた末の投稿なのだろうか。冷めた視線を注ぎながらも、自分にも身に覚えがないわけではない。かつての若者よりも現代人は「人に認められたい」という欲求が強いのではないだろうか。

 精神科医で評論家の斎藤環は『承認をめぐる病』(日本評論社)で若者が「衣食住」よりも「承認」を求める強い欲求を抱えていることを指摘している。斎藤によれば、「ひきこもり」にしても「ニート」にしても、「新型うつ」から就活の悩みの相談に至るまで、どこにでも「承認」の問題がみてとれるらしい。例えば、彼らは食べるために働くのではない。働いていないと仲間から承認が得られないから働くのだと斎藤は言う。

 内閣府が2010年に行った「国民生活選好度調査」によれば「幸福度を判断する場合重視した事項」について、15~29歳の若者の60.4%が「友人関係」と答えている。これは他の世代に比べて突出して高い結果であり、「仲間からの承認」こそが若者における幸福の条件と言える。斎藤はひきこもりの臨床経験からも、多くの若者はたとえ経済的に不遇であっても、人からの承認さえあれば、幸せになれるとし、むしろ現代にあっては、幸福の条件として「承認」の地位が高くなりすぎていると指摘する。

 若者たちは他者をどのように評価するのだろうか。斎藤に言わせれば、若者の対人評価軸は「コミュニケーション能力(コミュ力)」に一元化されているようだ。一般企業ですら、新卒採用に当たっては、学生の「コミュ力」を重視する時代。大切なのは論理的・言語的な能力というよりは「空気を読む」「笑いをとる」「他人をいじる」といった能力だという。「KY(空気読めない)」「コミュ障(コミュニケーション障害)」という言葉が流行するように、「コミュ力」を重視して若者は生きている。そして、「承認のしるし」として若者は仲間から「いじられキャラ」「毒舌キャラ」などの「キャラ」を与えられ、演じることになるのだそうだ。

 現代人は自分の価値評価をも、他者からの評価にゆだねがちだ。そして、それを「コミュ力」や「キャラ」と言ったコミュニティ毎に変化する流動的なものから得る承認で自分の価値を推し量ろうとしている。コミュニティが変わるたびに承認の基準はリセットされる。だから、学生時代はコミュニケーション強者だったのに、就労したらその「コミュ力」が通用せずに鬱になってしまうという例が少なくないと斎藤は言う。

 若い世代のコミュニケーションはツッコミやいじりなどを通じて、「キャラの相互確認」をし合うことで、互いを承認し合っているが、それはWEB上でも同様。それもFacebookやTwitterなどSNSごとに、いや、本当はもっと細かくコミュニティごとに「キャラ」を使い分けなくてはならないのだろう。上の世代は、「何故こんな馬鹿げたことをするのか」と訝るかもしれない。だが、若者はそうしなくては他者からの承認を得ることが出来ないと信じている。そして、他者の許しがなければ、自分を愛することすら難しいのが現代の若者の姿だ。

 斎藤によれば、「承認をめぐる病」は、「承認の葛藤」「承認への過剰適応」「承認への無関心」と言う3つに帰着する。あくまでも比喩としてだが、斎藤は『新世紀エヴァンゲリオン』のキャラクターをこの例として挙げている。承認をめぐって葛藤し続け行動を抑制しがちな碇シンジはいわゆる「ひきこもり」、社交性が高く承認を勝ち取るための行動化にためらいのないアスカ・ラングレーは「境界性人格障害」、承認されることに関心がなく、命令されるままに行動する綾波レイは「アスペルガー症候群」に見えてしまうと彼は言う。現代人の病理に「承認」の問題は深く関わっているのだろう。

 斎藤は互いを承認し合うコミュニケーションを「毛づくろい」に例えている。「いいね」を押し合い、若者は寄り添い合うようにして互いを認め合っているのだろうか。SNS上で感じるある種の違和感は若者たちの足掻き。耳をすませば、彼らの「誰かに認めて欲しい」という叫びが聞こえてくる。

文=アサトーミナミ