本当はもっと残酷だった? あなたの知らない『アリとキリギリス』の真実

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更新日:2014/1/28

 「感情移入しすぎないでくださいよ」。そう言われて手渡された新刊『Like a KIRIGIRISU “保障のない人生”を安心して生きる方法』(伊藤氏貴/KADOKAWA エンターブレイン)。その帯の表には“好きなこと最優先”、裏には“いつか必ず越えられない冬はやってくる。そのときあなたは、どうしますか…?”と書かれてある。

―ひとまず凍死しちゃっていいかしら。

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 実は『アリとキリギリス』には苦い思い出がある。キリギリスの寿命は元来2ヵ月。たった2ヵ月、夏の間しか生きられないキリギリスに、「楽しく生きるな。コツコツ働くアリのほうが偉い」と謂わしめるこの童話は残酷だし、アリがこんなにいい奴らなわけがない、と小学生の頃に女教師に伝えると、授業を妨害したと反撃をくらった。まさに、子キリギリスだった私がアリ地獄に突き落とされた瞬間だった。以来、「キリギリスはアリをじゃんじゃん踏みつけて、尻の蜜でも吸って生き延びればいい」と思い続けていた。

 ところが、「心優しいアリが最後はキリギリスを助ける」というあのできすぎた美談は、どうやら“作り話の作り話”だったらしい。元の話は「食べ物をわけてください」と懇願するキリギリスを、「手がかじかんでバイオリンが弾けないなら、踊りでも踊っておけよ」と、アリはピシャッとドアを閉めて追い返す。なんて嫌な奴ら! それをリライトしたのが、あのディズニーだ。根っからのキリギリスだったディズニーは、きっと最後があまりにも不憫だったのだろう。「キリギリスだって頑張ってバイオリン弾いてたじゃん。しかもアリに聴かせてあげていたじゃん。なのに、餌を運ぶ奴は報われて、バイオリン弾く奴は報われないなんて、そんな不公平あるかよ!」とディズニーが思ったかどうかは定かではないが、「好きなことを貫け」とばかりに、アリがキリギリスを手厚く迎え入れる結末にストーリーを書き換えたのである。

 このほかにも同書ではさまざまなタイプのキリギリスが紹介されていて、どれもリアルで興味深い。「冬さえ来なきゃいいんだ!」と、秋がくる頃、夏を求めて異国へと渡る「冬を知らない」キリギリス。仲間の悪口や仕事のキツさを吐露するアリたちに「それできみらは幸せか」と問うアランちっくなキリギリス。見栄っ張りのアリたちの本質をうまく利用し、「お隣さんはパンくずをこんなに恵んでくれました」と、“恥と頭はかきしだい”作戦で、ありあまる食べものを前に高笑いするキリギリス。思わず「あるある」と膝を打ちたくなる。

 しかしながら、どうも腑に落ちない点も。同書で“キリギリス”として紹介されている人たち(黒田硫黄、吉見鉄也、湯浅卓、桝太一、富士川祐輔)が、果たして一般の目から見ても“キリギリス”なのかといえば、たぶん違う。もともと大学が一流だったり、大企業で働いたことのある人間(=“保障”のある人間)が「ここは自分の居場所じゃない」と自分の意志で横道に逸れる場合と、いわゆる学歴も職歴もなく、実家が金持ちでもない、最初から本当の意味で“保障のない”人間が芸ひとつで身を立てようとする時の過酷さや、世間の冷たさは比にならないのではないだろうか。現にインタビュー収録されている人たちは、“アリ仕事”で高収入を確保しながら、その余剰で“キリギリスっぽい”生活を送っている。一からキリギリスの人間は、そううまくはいかないだろう。

 そもそも安心して生きたいなら、できる限り保障のある人生を選んだほうがよいに決まっている。安心して生きてみたいけど、やっぱりどうしてもその道を諦めきれない人間だけが、飢え死に覚悟で保障のない人生を歩んでいるのではなかろうか。実際、インタビューに答えている人たちもそのように答えているような…。なぜ、このサブタイトルにしたのだろう。

 好きなことを最優先するには、さまざまな犠牲を伴う。それでもやっぱりバイオリンを弾き続けたいのか? そう悶々と問いながら、今日もキリギリスは音を奏でる。それが現実ではなかろうか。

文=山葵夕子