まつもとあつし 電子書籍は読書の未来を変える?(後編)

更新日:2013/8/14

スマホ&タブレットで読書の未来は変わる?
デジタル時代の新読書術とは(後編)――

9月28日技術評論社から、拙著『スマート読書入門』という本を出版しました。この連載では電子書籍の最前線を追っていますが、少し先回りして、スマートフォンやタブレット、そしてクラウドサービスを使って、未来の読書術を先取りしてしまおう、という内容です。(前編はこちらから)

紙『スマート読書入門』

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まつもとあつし / 技術評論社 / 1659円

「読書は紙の本でOK」と思っていませんか? 昨年話題になった電子書籍はもちろん、スマートフォンやタブレットが普及していくのにともなって今、読書のあり方が変わろうとしています。本書はデジタルツールの助けを借りて、読書が持つパワーを存分に引き出すための本です。最小限の手 間であとからすぐに見つかる読書メモをとったり、いつでもどこからでも自分の本棚にアクセスしたり、一人きりの読書では得られなかった気づきをインプットしたり、気になる人の本棚をフォローして読書の羅針盤にしたり。デジタルツールとちょっとの工夫があれば、紙の本では難しかったことも次々と実現できてしまいます。

作品を読む

 

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今回は、本書の出版に関連して、電子書籍が私たちの読書や生活、あるいはビジネスをどう変えるのか?について、フリー編集者・文筆家の仲俣暁生さんに話を聞きます。仲俣さんは電子出版についてのコアな情報メディア「マガジン航」の編集も手がけ、電子書籍ブーム以前から、この分野を長年見続けてきた方です。北米ではAmazonのKindleをはじめとして電子書籍の動きが活発ですが、日本ではなぜそうならないのか?電子書籍が一般化していくことで本との出会いや、図書館の存在意義はどのように変化していくのか、そもそも本を書いたり読んだりする行為、そしてビジネスはどうなっていくのか?――話題は多岐に及びます。

仲俣暁生(なかまたあきお)●1964年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。
フリー編集者、文筆家。武蔵野美術大学非常勤講師。『ワイアード日本版』『季刊・本とコンピュータ』などの編集者を経て、2009年に株式会社ボイジャーと出版の未来を考えるWebメディア「マガジン航」を創刊、編集人をつとめる。編著『ブック・ビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)、『いまの生活「電子社会誕生」―日本語ワープロからインターネットまで』(晶文社)など。

 

著作(作品)の単位が変わっていく

――書籍が電子化して、端末上で読めるようになることで、ブログなどのWebコンテンツとどう違うのか?という根本的な疑問が示されるようになりました。たとえば、本書でも紹介している「パブー」では、ブログと同じような感覚で本を書き、縦スクロールで読むことができます。コンテンツの1つの塊=パッケージはどんな形になっていくのでしょうか?

仲俣:でも、実際に本を書く方からすると、短くても売れるから短くしようとか、バラ売りできるから対応しよう、とはならない。もちろん出版社の都合で長さが決まる、という場合もあったとは思いますが、著作の長さにはなんらかの必然性があって、いままでの本の長さがあったと思うんです。

ただし、「本を著す」ことへの緊張感なしに、短い文章をただちにパブリッシュすることはできるし、ブログですでにそれは起きている。さらにツイッターみたいに140字の制限があると、人はつい「いいこと」をつぶやこうとする。まるでニーチェや芥川龍之介のアフォリズム(格言)のように、誰もが「名言」をひたすらネットに投稿している時代ですよね(笑)。

――そういうbot(自動投稿システム)も実際あったりしますね。

仲俣: ええ。そうやって短い言葉をソーシャルメディア上で言い続けることで、本とは違ったかたちで世間の評価を受けることもできるようになった。

「本を著す」というのは、長い時間をかけて、自分の中の考えに対し自分自身でも疑問をぶつけて、時間をかけて熟成させていくことだった。名著や古典と呼ばれるものは、たぶんそうやって書かれた作品だと思うんです。でも、現在の読者の多くは、そうした作品と真正面からつきあうことに耐えられなくなっている、というのも、またもう一つの事実だと思うんですよ。

――耐えられなくなっているとは?

仲俣:つまり、しんどくなってきているということですね。それは読む側だけでなく、書く側もそうかもしれない。

たとえばマルクスが「資本論」をまとめたときのように、1人が長い時間をかけて思考し、その結果を長大な著作にまとめるということが、今後はどのくらいあるのだろうか、と思ってしまうのです。それよりは、日々そのときの思いつきをブログにアップしたり、つぶやいたりして、その都度フィードバックもらったほうがね、話が早いんじゃないかと思うことがあるんですよ。

――Twitterの時代に、ニーチェやマルクスがいたら、彼らはどうしたか――。

仲俣:そういうことですね。情報流通のインフラが紙の本からネットへと変われば、思考の仕方もきっと変わっていくだろうと思うんです。じっくりと書評を書くよりも、読んですぐに感想やポイントをさっさとつぶやいたほうがいいんじゃないか、というのもそのひとつの例ですね。

もちろん、時間をかけて本にすべきコンテンツも残るでしょう。これまでの本を前提にした長さの作品や、断片的な思考ではなくまとまった長さの論考をネットで読みたい、という思いも、当然これまでの読者の側には根強くあるはずです。とはいうものの、情報流通のインフラの変化の中で、著作=コンテンツのありようが変わってくれば、読むほうもまた、変わっていかざるをえません。

――前回紹介したように『スマート読書入門』では、読書をして感じたこと、考えたことを、Twitterで共有することを薦めています。仲俣さんが指摘するように、書き手もソーシャルメディアと触れることが当たり前になっていく中、「本」がどう変化していくのかは要注目です。

そこまで込みで考えていかないと、電子化にともなく「本」の将来はわからない。たんに、「これまで紙で出ていた本が電子化される」というだけでは終わらないと思います。

衝動と本の入手が直結する

仲俣:そういえば、『WIRED』の日本版がこのあいだ復刊しましたよね。以前出ていた日本版には、創刊からしばらく僕も編集者として参加していたので、今回の『WIRED』も出てすぐに買いました。そうやって雑誌をパラパラめくっていると、ケヴィン・ケリーとかスチュワート・ブランドといった、『WIRED』に頻繁に登場する人たちの本を読みたくなる。こうした人たちはどんなことを考えた人なのか、いまどうしているのか、ということを確認したくなるわけです。ところが彼らの最近の本は、ブランドの『地球の論点――現実的な環境主義者のマニフェスト』を除くと日本では翻訳されていないので読めない。仕方なく、キンドルで英語版を買って読むしかないわけです。

仕事であってもなくても、なにかものごとに興味や疑問を持ったときに、芋づる式に関連書を買うケースがけっこう多いんですよ。なおかつ、それは思った瞬間に買えないと、衝動がなくなってしまう。

――そうですね。時間が経つと情熱は冷めてしまうことは多いです。

仲俣:電子書籍の場合には、それが瞬間的に買えてしまう。CDや本といったパッケージを買うときでさえ、Amazonにはワンクリック購入の仕組みがあり、衝動から購入までの時間がすごく短いですよね。それが電子書籍ではさらに加速します。じゃあ明日、本屋を何軒か回って買おう、というのんびりした買い方とは全然違う。Webのリンク先をクリックして見るのとほぼ同じ感じで、本が買えてしまい、その場で読めてしまう。将来はキーワードを検索すれば、その言葉が記載されている本がウェブで簡単に見つかるようになるでしょう。ようするに、読書自体がWebのリンクをたどって見ていくのに、近くなっていくわけです。