『百瀬、こっちを向いて。』の番外編が読める! 中田永一書き下ろし新作を無料公開

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2014/3/6


とある広場で“あの人”


今月の“あの人”は…『百瀬、こっちを向いて。』

田辺(たなべ)

『百瀬、こっちを向いて。』 中田永一 / 祥伝社文庫

大学卒業を前に故郷に戻った相原ノボルは、高校時代の先輩・神林徹子に再会する。彼女と話しているうちに、クラスの底辺でひっそりと棲息していた高校1年当時のことが思い起こされた。凡庸な外見と陰気な性格から、女性には一生縁がないと半ばあきらめていた僕の前に現れた、挑みかかるような瞳の美少女・百瀬 陽(ももせ よう)。ある提案のもと、百瀬と僕は“つきあう”ようになったのだ。一変する世界――しかし、それは同時に恋の苦しみのスタートでもあった。2014年5月10日公開で映画化(主演/早見あかり)。田辺は、ノボルが自分の同類で「人間レベル2」とみなすクラスメート。

番外編

鯨と煙の冒険【第一話】中田永一


©Getty Images

 高校時代の友人に田辺という男がいた。陸上で生活している鯨がいたら、彼のようだったにちがいない。大柄の彼が背中をまるめてあるき、テンポのおそい話し方をする様は、おだやかで巨大な動物を連想させるのだ。

 彼の趣味は天体観測だった。部屋のベランダに天体望遠鏡を置いて土星や木星をながめるのが好きだった。しかし近所の人から「お宅の息子さんが望遠鏡でのぞきをしている」との苦情を受けて親から望遠鏡をとりあげられてしまったという。

 次の趣味はバードウォッチングだった。自然を愛する彼は双眼鏡を持って近所の公園で鳥たちの営みを観察するのが日課になった。双眼鏡をとりあげられたのは、職務質問されたのがきっかけだ。のぞきの目的で双眼鏡を所持しているのではないかとうたがわれたのである。

 彼はいかにも職務質問されそうな風貌だった。他人というものに不慣れなせいか挙動も不審だった。人に話しかけられると、あわあわして目をおよがせてしまう。だからよけい、あやしく見えるのだった。

 結局、彼の趣味は昆虫観察におちついた。学校帰りに公園の土を木の棒でいじくりまわし、這い出てきた昆虫を虫眼鏡でながめる。とても高校生の行動とはおもえないが、さすがにこれなら、のぞきをうたがわれることもないだろうと、友人である僕は、ほっとしたものだ。

 これは田辺が十七歳の夏に経験した事件である。その日、高校からの帰宅途中、彼は映画館でホラー映画をたのしんだ。エンドロールがおわって外に出ると、すでに辺りは暗い。久留米の町に夜風がふいて夏の熱気をさましていた。西鉄久留米駅にむかってあるきはじめて間もなくのことだ。前を行く女の子の集団が、路上にとめてあったバイクにぶつかり、数台を倒してしまったのである。

 女の子たちは一目散に逃げだした。しかたなく田辺がバイクを起こしてあげることにする。そのとき、ネオンのかがやくパチンコ店から数名の不良たちが出てきた。

「おまえ、なんばしょっとか」

 喧嘩腰の声で田辺に怒鳴る。バイクは彼らのもので、しかも田辺がバイクをたおした犯人だとおもいこんでいた。弁解しても信じてはくれなかったという。しかし神様は彼を見捨てない。激高している不良の一人がバイクによりかかり、ふたたびたおしてしまったのだ。不良たちがそちらに気を取られているすきに、田辺は逃げた。

「待たんか! ぶっ殺すぞ!」

 久留米一番街のアーケードに怒声が響き渡った。つかまったら命はない。殺される。彼はそう確信した。街灯がまばらにしかないような暗い路地へ入る。

 何度目かの角をまがったとき、手分けして自分を捜しているらしい不良たちの声が、前方と後方から聞こえてきた。はさみうちだ。絶体絶命かとおもわれたそのとき、暗い路地にあわくかがやいている紫色の看板を見つけた。『Bar Smoke』と店名が表示されている。

「たすけてください! 追われてるんです!」

 扉へ突進して店内に足を踏み入れた。木製のバーカウンターで女性が煙草を吸っている。長い髪を後ろでひとつにむすび、アフリカの民族衣装をおもわせるゆったりした服を着ていた。今にしておもえば、あれはヒッピー文化の流れをくんだファッションだったなと、田辺は後におしえてくれた。

「おねがいします! かくれさせてください!」

「いいよ。そこらへんに座ってな。店の主人には、私から許可をもらっとく」

 彼女の前にはお酒の入ったグラスがあった。田辺は店の奥まったところでひざをかかえてうずくまった。トイレの流れる音がして、店主とおもわれるおじさんが出てきた。女性客が説明して、店内にかくれる許可をもらってくれた。

 不良たちがあきらめてどこかへいなくなるまでの時間を田辺は『BarSmoke』ですごすことになった。店の奥にうずくまったまま、女性の横顔をちらちらとながめた。たのしそうに煙草を吸う人だなと彼はおもった。

 その女性は煙草の煙を輪っかにして口から出した。ドーナツ状の白い煙が、ふわふわと店内にただよう。

新たに女性の口から出てきたちいさな輪っかが、弾丸のように飛んできてその中心をすり抜ける。

 彼女の技はそれだけではない。グロスによってきらきらと光るくちびるから、煙の輪っかが出てきたかとおもうと、地球が自転するかのようにくるくると回転しているではないか。自転する輪っかを同時にいくつも出して、太陽系らしきものを店内にうかべて彼女はあそぶ。

 煙でつくった太陽系が崩壊し、消えてしまうと、またあらたに煙の輪っかを出した。今度は丸い形のものばかりではない。あるものは星型をしているし、あるものはハート型をしている。偶然にそうなったのではなく、輪っかの形状をコントロールしているようだ。はたしてどのような原理でそんなことができるのかわからない。

 彼女は栗原キリコと名乗った。

二十五歳だという。煙草を持った姿には大人の雰囲気があった。彼女は田辺に質問する。

「きみ、どの辺に住んでるの? 連絡先おしえてくれない?」

 どのような理由でそんなことをしりたいのだろう。一抹の不安もあったが、おしえることにした。後に不安は的中し、彼はやっかいごとに巻きこまれた。

※リンク先のJT「ちょっと一服ひろば」は、満20歳以上のばこを吸う方に向けたウェブサイトです。作品の他、たばこに関する情報が掲載されています。


なかた・えいいち●2005年、恋愛小説アンソロジー『I LOVE YOU』に発表した「百瀬、こっちを向いて。」が話題に。08年、同作を収録した恋愛小説集『百瀬、こっちを向いて。』を刊行。他の著書に『吉祥寺の朝日奈くん』(2011年映画化)、『くちびるに歌を』がある。最新作は、「メアリー・スーを殺して」(アンソロジー『本をめぐる物語 一冊の扉』所収)。