ハーレム×監獄。壁をぶち壊していく快感と、“女性の強さ”を描きたい

ピックアップ

公開日:2014/3/6

女子1016名に対し、男子5名。一見、男の夢を叶えるハーレムのように思えるかもしれないが、実際こうした男女比になると、気弱な男性は萎縮してしまい、実に居心地の悪い状況となってしまう。
『ヤングマガジン』連載中の『監獄学園』では、全寮制の女子高が共学となり、5人の非モテ男子が入学。童貞を捨てたい。彼女を作りたい。そんな願望を抱えながら、男子たちは圧倒的な女性比率の前で手も足も出ない。女子と話すだけで大緊張する気弱男子にとって、針のむしろのような状況だ。

監獄学園コマ1

advertisement
1巻第1話より。放課後の教室でクラス1の美少女・千代と相撲トークを交わすキヨシだったが、いきなりまさかの展開!
(c)平本アキラ/講談社
 
平本アキラ
ひらもと・あきら●1976年沖縄県生まれ。95年にデビュー。98年より『ヤングマガジン』にて『アゴなしゲンとオレ物語』(全32巻)を連載。2011年より同誌にて『監獄学園』を連載。同作で13年度の講談社漫画賞を受賞。その他の作品に『俺と悪魔のブルーズ』『やりすぎコンパニオンとアタシ物語』。

 悶々とする男子の自意識がつぶさに描かれ、その切実さに思わず吹き出してしまう『監獄学園』だが、作者の平本アキラさん自身、高校時代に同じような状況に置かれたことがある。

「僕が通っていた高校も女子の数が圧倒的に多くて、萎縮しっぱなしだったんです。昼食時は女子が食堂や教室を占領するので、男子で集まってプールの裏とかで弁当を食べたりしていました。女の子がいっぱいなのに決してウハウハじゃない。そのときの感覚が多少は参考になっているかもしれないですね」

 平本さんは中学卒業後すぐに働きに出たが、仕事が想像以上にきつかったことから、高校に入り直した。しかし、その高校も居心地が悪かったというわけだ。結局、平本さんは学校に行かなくなり、マンガ喫茶に入り浸るようになった。このことがマンガを描くきっかけとなるのだから、本当に人生いろいろだ。

「その頃、マンガ喫茶でたくさんマンガを読んでいたので、自分でも描けると勘違いしたんですよね。それまでちゃんとしたマンガを描いたことがなかったんですけど、ヤンマガに投稿して期待賞をいただいたんです」

 平本さんは「勘違い」と言うが、1995年のデビュー以来、『ヤングマガジン』に『アゴなしゲンとオレ物語』を11年間にわたって連載し、『監獄学園』が2013年に講談社漫画賞を受賞するという栄冠に輝いたわけだから、天職にめぐり合ったと言っていいだろう。

『監獄学園』の面白さは「学園×監獄」という極端と極端を掛け合わせた独特の世界観にある。

「元々、単純に学園ハーレムものと刑務所ものを掛け合わせたら面白いんじゃないか、というところからスタートしてるんです。学校を刑務所に見立てるんじゃなくて、学校の中にそのまんま刑務所がある方がよりバカバカしいし、楽しそうだと思ったんですよね」

 童貞男子5人は、当初の夢だった“ウハウハ”を叶えるべく、女風呂の覗きを決行。この行為が発覚し、男子は不純異性交遊の罪で懲罰棟に収監される。そこは、裏生徒会の美女が管理する“女尊男卑”の完全閉鎖空間だった。ウハウハ学園ものが、一転して刑務所ものと化す。

「普段の生活は、ひたすらマンガを描いて引きこもってるわけですけど、仕事の参考として映画はたくさん観るんです。連載を始めるにあたって、刑務所ものと脱走もの映画はいろいろ参考にしましたね。中でも『暴力脱獄』がいちばん影響を受けています。それを見て、こういうマンガにしようとなっていったんです」

『暴力脱獄』とは、1968年公開のアメリカ映画。器物破損の罪により刑務所に収監された元軍人の男が、過酷な労働や体罰に屈せず、3度目の脱獄でついに自由をつかみとるという不屈の精神を描いた作品だ。

『監獄学園』も同様に、主人公のキヨシが仲間の手を借りて脱獄しようとするが、その動機が、好きになった女子とのデートの約束を守るため。こうした学園ものにありそうな純な想いと“脱獄”という反体制的な行為との落差が、10代男子特有の切迫感を描き出すのだ。

「学校もそうですけど、刑務所ものは実社会に置き換えやすいので、誰しもが共感しやすいと思います。たとえば、刑務官がイヤな上司や学校のイヤな教師を象徴していたり、彼らが押し付けようとする面倒くさいルールだったり。あるいは、触りたいおっぱいがたくさんあるのに、そう簡単に触れられない状況であったり。そういうものを出し抜いて、ぶっ壊して、解放される快感を描きたい」

 脱獄劇のカタルシスとは、私たちが内に秘めている欲求の解放にあるだろう。圧迫感が強ければ強いほど、自由をつかみとったときの快感も大きくなる。『監獄学園』とは、まさしく快感を増幅させるための舞台装置なのだ。