泡沫1位が示したもの―家入インターネッ党は民主主義を変えるのか?

政治

2014/3/4

 都知事選が終わった。結果は事前予想通り舛添要一氏の圧勝だった。小泉純一郎氏が支援し、反原発を掲げた細川護煕氏が、リベラル有力候補の宇都宮健児氏ときれいに票を分け合い、小泉氏が得意とするワンフレーズ戦略は不発に終わった。「組織票」対「浮動票」という構図。政治への関心が異様に高まらなければ、つまり投票率が低ければ(今回は46%)、順当に組織を固めた候補者が勝利する――ここまでは、これまでも繰り返されてきた驚きのない退屈な選挙と大差ないものだ。

 しかし、これからの日本の政治、あるいは民主主義に大きなインパクトを与えかねない結果が落選した側に現われていることを見逃してはならない。ひとつは、細川氏に次ぐ4位となった田母神俊雄氏の61万強という得票数だ。元幕僚長でいわゆるネット右翼的言動を隠さない氏が、いわゆるネット保守層からこれほどの得票を得るという予想は多くの識者を驚かせた。

 そして、そこから桁はひとつ減って約8万票だが、いわゆる泡沫候補の中では1位となった家入一真氏も注目を集めた。Twitterで出馬を表明し、元ライブドアの堀江貴文氏らの支援を得た氏は、「ぼくらの政策」と銘打って、ネットで政策を募り公表したのだ。そこには自らを元ひきこもりと称する氏らしく「フリースクール(居場所)の整備」、「テレワークの普及促進」などの文字が躍る。氏と彼を支援するグループは「インターネッ党」なる政党を立ち上げ、今度は東京23区の全区長選に候補者を擁立する構えだ。

 家入氏らの取り組みは、日本の政治を変えるのか―高齢な候補者ばかりの中、若者代表としての期待もある一方、懐疑的な見方も多い。特に氏が中心となって2012年にスタートした学生向けクラウドファンディング(Studygift)は、「なぜ数多くいる学資を困っている学生からごく少数の彼らが取り上げられたのか?」といった審査や、運用面で不透明な点も多く、批判・炎上した結果一旦閉鎖に追い込まれ、現在も再開していない。「ぼくらの政策」を掲げた氏だが、「ぼくら」とは果たして誰(どの層)を指すのか? という同じく根本的な疑問にもまだ答えられたとは言えない。

 ネット上で意見を募り、それを政策として取り入れる―一見すると理想的な取り組みにも思えるが、実際のところ寄せられた提案の何を採用し、予算をどう重点配分し、どのような体制でそれを実現していくか、ネットだけでは答えが出ない課題や疑問がそこには控えている。Twitterがブームとなったとき、ソーシャルメディアが社会や政治を変えるという声も多かった。都知事選はその利用が一部解禁された選挙でもあった訳だが、曲がりなりにもネットを活用した結果の家入氏の8万票という得票数は、全体からはわずかなものだ。

 では、ネットは政治を変えることはできないのだろうか? 実は、ネット選挙解禁より前に、この問題に正面から取り組んだ書籍がある。それが2011年に思想家の東浩紀氏が記した『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』(講談社)だ。選挙と議会による民主主義は機能不全に陥っていると喝破する氏は、Twitterやニコニコ動画などを例に挙げながら、「熟議や選挙すら必要ない新しい民主主義」の姿を説く。そのベースとなるのが、フランス革命にも影響を与えた、ジャン=ジャック・ルソーが「社会契約論」の中で唱えた「一般意志」=人民の総意の現代版の解釈だ。これを東氏は「一般意志2.0」と呼んでいる。

 フランス革命前夜には到底不可能だったが、情報環境が進歩した現代であれば、人民の総意は可視化できる、と東氏は主張する。過半数にも満たない投票結果や、議会での長々としてなかなか結論を見いだせない議論に辟易する必要もない。ネット上での意識する、しないに関わらない我々の発言や行動を集積し、分析することで、国民の総意を反映した意思決定を行うことができるはずだ、という訳だ。本書刊行時にはまだ話題になっていなかった「ビッグデータ」の政治への活用という風に捉えるとその主張の方向性は理解しやすい。

 ただこう聞くと、それは危険なのではないかという疑問を持つ読者も少なくないはずだ。プライバシーはどうなるのか? 政府による監視に繋がらないか?SFで描かれるような人工知能の暴走による世界大戦というイメージが沸いたりもするだろう。

 氏は本書の中で、その危険性を認めながらも、従来の熟議型の意思決定プロセスと、データベースに蓄積されそこから分析された一般意志を組み合わせた新しい民主主義の可能性を説く。議論をベースにした意思決定も万能ではないことは歴史が証明している。何よりも私たちがそこにモチベーションを見いだせなくなっている中、新しい一般意志の活用によって、意思決定のスピードがあがったり、暴走を食い止めることができるのではないか、という訳だ。とかく議論に終始して結論が見いだせないリベラルと、マッチョな精神論で国を危うくするナショナリズムの両方の欠点を補える可能性が確かにそこにはある。

 足元を見ると、東が説く理想にはまだほど遠いのが現実だ。だが、日々進化するITをどのように私たちの政治に活かせるのか、そのデザインや制度を主体的に考えることは価値がある作業だ。一般意志2.0を活かせる仕組みが整った時、「ぼくらの政策」の「ぼくら」は真の意味で我々の総意となり、優先順位づけや評価といった問題に合理的な解を得られることになる。逆に言えば、その仕組みがないままの、「ネット活用」はネットのごく一部を使っているに過ぎず、結果として失望しか招かないのではないだろうか。

 思想書ではあるが、普段その類の本を読み慣れていない読者にも分かりやすい言葉が選ばれ、理解は難しくない。ネット選挙による結果が生まれ始めている中、改めて光が当てられるべき1冊だ。

文=読書電脳