林葉直子の『遺言』! 不倫、ヘアヌード…波乱の46年に今思うこと

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/22

「大根も切れませんが、ペンは軽いので書かせていただきます」

絵画に出てくるような、彫りの深い美女が、報道陣にもみくちゃにされている。将棋のプロなのに、対局をドタキャンして、失踪していたらしい。そのうえ、師匠のライバルである、父親ほど歳の離れた変態おじさんと不倫して、破門にされたとか。変態おじさんが留守電に残した「突撃しま~す」の声が、何度もテレビでリピートされている。その後、彼女はヘアヌードになり、カレー屋の店主になり、タロット占い師になった挙句の自己破産。時々、テレビに出てきては、血色の悪い顔で「男に暴力を振るわれました」「金を騙し取られました」と口にする。昔の面影よ、何処へ?

advertisement

子どもの頃から見てきた林葉直子のイメージといえば、こんな感じだろうか。子どもながらに、当時の過熱報道には強烈な違和感を覚えていた。なにせ、将棋の世界では相当地位が高いらしい“変態おじさん”は一向にテレビに出てこないまま、コメンテーターたちが彼女ばかりをバッシングしているのだ。テレビの向こうでは、当の本人が将棋界の男女格差について語っていたが、しょせん不倫女の遠吠え。彼女に群がるマイクは、まるで死骸に群がるハイエナのようだった。「圧力って、不公平って、こういうことか」と知った。

その林葉直子が現在、重度の肝硬変を患い、博多の病院で療養しているという。ネット上では「林葉直子、劣化!」というスレがだいぶ前から立っていて、その容姿の変貌ぶりがしばし話題となっていた。つい先日、本人が報道番組に出演し、その理由を明らかにした。彼女の体は長年の飲酒と、本人曰く自己破産以降のコンビニ食三昧の生活によって蝕まれていた。今は、なんとか薬物治療で保てている状態。ブログでは、自身の今を将棋になぞらえ「鬼手を探している」と、その心境を綴っている。ヤフーニュースに残されていた彼女への激励コメントの多さが引っかかり、新刊『遺言 最後の食卓』(中央公論新社)を手にした。

彼女がかつて、作家活動をしていたのは知っている。とはいえ、まったく期待はしていなかった。だって、「突撃しま~す」の、あの林葉直子である。ところが、まえがきを読んで、その文章の美しさに射抜かれた。“鬼手”の得意技で知られ、歴代最年少の14歳で女流王将を獲得。その後10連覇を成し遂げた聡明さを思い起こさせるシャープな筆づかい。こういってしまうと語弊があるかもしれないが、死と向き合う人間特有の、水を打ったような静かな時間の流れが、粛々と伝わってくる。

「私は、自分が病気になって、自分を褒めて笑ってます(笑)」

闘病を続ける彼女の文章は、波瀾万丈だった彼女の人生とは裏腹に、とても穏やかで、日が当たっているようだ。そして、不思議とあっけらかんとしている。病院の白い天井を眺めながら、うつらうつらと過去や現在を行ったり来たり。そんな日常の断片を切り貼りした、パズルのような文体。長い入院経験のある人なら覚えがあるだろう。

子供の頃、おまんじゅうのあんを「まん」と言っていたなと思い出せば、パンツをあげようとするだけでゴムが痛いと現実に戻る。警察官だった父親は酒グセも女グセもひどかった、と過去の傷口を開ければ、将棋で勝ったら天ぷら、負けたらワカメうどんって決めていたと思い出し、ほくそ笑む。まさしく、病院のベッドの上で、浮かんでは消え、消えては浮かぶ情景を、彼女は綴り続けているのだ。

中には、同性として、読み進めるのが切なくなってしまう告白もある。妊娠したのではないかと心配になって、日本の病院へ行くのがイヤだからとロンドンの病院まで検査へ行っていたら、あの大騒動になっていたこと。固定相続税の600万円を支払うためだけにヌードになったこと。若くして将棋界の“スター”となった彼女に、少しばかりのずる賢さと世渡りのうまさがあれば、塩抜きのケチャップソースを常備することもなく、今も元気に大好物のラーメンやいちごのショートケーキを好きなだけ食べ続けていられたのかも。

あの時、必要以上に彼女を追いかけ、マイクを突きつけていた大人たちは、今頃、定年を迎えた頃だろうか。今の彼女の姿を知り、何を感じるのだろう。突撃してみたいものだ。

文=山葵夕子