大ブレイク間近! 新世代のカルチャースター・少年アヤの壮絶な魂の遍歴とは?

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/22

an・an』(マガジンハウス)や、『女性自身』(光文社)などで活躍している、新世代の文筆家・少年アヤをご存じだろうか? 作家やコラムニストに多くのファンを持ち、3月3日に発売された『尼のような子』(祥伝社)の帯には、作家の窪美澄氏がコメントを寄せている。

尼のような子』は、日記形式のブログがベースとなっているが、自叙伝という一面もある。そこに描かれているのは、性別だけでなく愛の対象さえあいまいで、あいまいさを許容できない社会におびえつつも、「愛したい、愛されたい」と叫ぶ彼の姿である。

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例えば、学生時代に好意を寄せていた「彼」。バレンタインデーに冗談まじりに高級チョコを渡すと、「お前、やっぱり俺のこと、好きなの?」と神妙な顔で聞き、本気なら受け取れない、応えられないと固辞する。「恋であることは確かなのに、彼に抱かれたいとも、付き合いたいとも、心の底からは思っていなかった」少年アヤは、押し問答の末に彼にチョコを受け取らせる。しかし、次の瞬間には、「とうとう見られてしまった。支配欲の悪魔や、無機質な財布のなかにひた隠していた、恋する乙女の顔を」と次の瞬間から絶望しているのだ。

当てはまる言葉がないために「オカマ」を自称する少年アヤだが、同性への憧れや恋心の向かう先は、肉体関係を持つ・付き合う、という単なる型(かた)ではなく、“自分が想っているように、相手に想われたい”という願いなのかもしれない。

露出狂に遭遇したときのエピソードも、笑いの中に苦さがある。クリスマスに量販店の試着室で、オナニーする男を見つけ、「わざわざクリスマスに、腹いせのように露出行為をする男の孤独に、共感」した少年アヤは、一部始終を見届けようとする。だが、それに気付いた露出狂は試着室のカーテンを締め切り、少年アヤを拒絶する。「なんだよあいつ、露出狂のくせに人を選びやがって。お前にそんな贅沢する権利、あるのか?」「同じくらい、自分に対する怒りもこみあげる。なぜ、露出狂なんかに欲情してしまったんだろう。そしてなぜ、露出狂なんかのせいで傷付いているんだろう?」。ここでも少年アヤは“男”というだけで、露出狂からも“対象外”にされてしまう。本来なら、“対象外”にされてかまわない相手だが、社会から定義されにくい場所にいる少年アヤの「愛されたい」願望が肥大化した結果なのだろう。そして、少年アヤ自身がそのことを嘲笑するような客観性も持っていることに、読者は引き込まれるのだ。

そして、少年アヤの「愛し愛されたい」願望が憑依したのが、アイドル信仰だ。K-POPアイドルグループ「SHINee」のキー、若手俳優の綾野剛、超特急のタクヤと、次々と愛する対象を見つけては、違法グッズや表紙を飾った雑誌、握手券のためのCDを貪るように買い集めたり、公演の“音漏れ”のために4時間も東京ドームに立っていたりと狂おしいほどの愛を注ぎ込むのに、いざ握手会やコンサートで当人を目の当たりにすると、勢いが殺がれる。その根底にあるのは、「自分もああなりたい」という欲望。「彼らと接触したり、生で見たりするたびに心が病んだのは、理想とは正反対の現実を突き付けられたことで、強い劣等感がこの身をつんざいたからではないか」「私はこれからも、あこがれの自分を信仰し、無駄な消費に狂っていくしかないのか」。

少年アヤが紡ぐ言葉の数々は、性別も年齢も越えて、多くの人の心に突き刺さる。なぜなら所在なさげな少年アヤの叫びは、誰もが心のどこかに抱えている孤独に呼応するからだ。小説でもエッセイでも単なるブログ本でもない『尼のような子』。新しい時代の才能に触れてみてはいかがだろうか。