官能WEB小説マガジン『フルール』出張連載 【第39回】深水かずは『初恋偽装』
公開日:2014/3/18
深水かずは『初恋偽装』
会社の後輩の結婚式の二次会で、志帆が偶然再会したのは大学時代に同じサークルだった圭太だった。かつて彼を好きだった志帆は、社会人らしい精悍さの加わった圭太にときめき、誘われるまま家までついていく。けれど、二人きりになった途端、圭太は豹変して──!? 気鋭の作家が吟味された筆致で描き出す、リアル・エロティック・ラブ!
あっけにとられる志帆の前で、その男は口の端をくいと軽くあげた。
さっきまでの甘やかな空気は嘘のようになりをひそめ、かわりに頭のてっぺんから内臓にむかって氷を落とされたような感覚だけが志帆を支配する。
「本当にばかだね、あんた」
男は鼻息だけで笑う。
記憶のなかで何度も反芻したのと同じ顔がいじわるく歪むのを、志帆(しほ)はただ見つめ返すしかできなかった。
*
朝からしとしとと雨が降っていた。
結婚式が行われるという、麻布にある一軒家レストランはどの駅からも中途半端に遠く、慣れないパンプスの硬さに志帆は式が始まるまえからうんざりしていた。たいして仲がいいわけでもない会社の後輩(しかも志帆より3つも年下だ)のために、前日までの仕事の疲れが残っているというのに早起きをして髪をセットしてご祝儀を包んで、二次会まで参加して。その出費と体力の消耗を考えるだけでどっと疲れるようだった。二十七歳の志帆にとって結婚式は、とりたてて非日常でも心躍るイベントでもない。
そんなことを思っていたせいか、いつもより酒がまわるのがはやかった。同じレストランで二次会が始まるころにはすっかりできあがった状態で、シャンパンを片手に同僚たちと二度目の乾杯をしていた。
彼が現れたのは、そのときだ。
「――圭太(けいた)?」
受付を済ませて会場に入ってきたその姿をみて、思わず声がこぼれた。グラスをもったまま、おそるおそる彼に近づく。
「松坂(まつざか)圭太、だよね?」
もう一度、今度ははっきり声をかけると、彼――圭太はようやく気づいたというように横目で志帆をみおろした。
「びっくりした。こんなところで会うと思わなかった。……ひさしぶり、元気だった?」
「……おう」
ぶっきらぼうにうなずく圭太が志帆を見るまなざしには、どこか不審げな色がまじっていた。そして、ごめん名前なんだっけ、と若干眉をひそめて問う。予想外の反応に、志帆は、ずん、と全身が沈むのを感じた。体中をめぐっていたアルコールが一瞬のうちに醒めていく。
「あ、ええと。小野田(おのだ)志帆だけど。大学のとき、サークルで一緒だった。……やだ、嘘でしょ。忘れちゃった?」
とっさに笑顔をつくることもできず、グラスの脚をぎゅっとにぎる。
すると圭太は、ぷっ、と息をもらした。
「忘れるわけないじゃん。冗談だよ、冗談」
「えっ……」
「ひさしぶり、志帆。元気そうだな。いつぶりだっけ?」
硬直した筋肉がゆるんで、志帆は深々と長い息をついた。
「もー……。やめてよ、ほんとに。ちょっと泣きそうになっちゃったじゃない」
「はは、ごめんごめん。俺もちょっとびっくりして。新婦の友達なの?」
「会社の後輩なの。圭太は新郎側だよね?」
「そ。高校からの友達なんだ。仕事があって式はどうしても参加できなくてさ……っと、ごめん。友達いるから行くわ」
圭太の視線の先には、志帆とおなじように披露宴の余韻で顔を真っ赤にさせた男性陣が、はやくこいというように手招きをしている。
うなずいた志帆の笑顔にさみしさが滲んだのか、圭太は行きかけた足をとめてふりかえった。
「あとでさ、話そうよ。志帆がいまなにしてるのかとか、聞きたいし」
「あ、うん! もちろん!」
「んじゃ、またな」
にかっと笑って圭太は今度こそ友人たちの輪に飛び込んでいく。そこからはずれて志帆のところに戻ってくるなんて至難の業のように思えたけれど、でも、その言葉だけでうれしかった。
(……ほんとに圭太だ)
その屈託のない物言いも、いたずらをしかけた子供のような笑顔も、ぜんぶ記憶のままだ。――いや、あのころよりも社会人らしい精悍さがくわわって、笑うとよけいに無邪気に見える。
会わなくなってもう五年以上たつのに、何度も甘い苦みとともに思いかえした顔。
圭太は、志帆がつきあいそこねた男だから。
2013年9月女性による、女性のための
エロティックな恋愛小説レーベルフルール{fleur}創刊
一徹さんを創刊イメージキャラクターとして、ルージュとブルーの2ラインで展開。大人の女性を満足させる、エロティックで読後感の良いエンターテインメント恋愛小説を提供します。