なぜ、母と娘の関係はこじれてしまうのか?

暮らし

2014/3/31

 母親と娘の関係は微妙だ。同じ遺伝子を有するためか友達以上に気が合うこともあれば、どうしても許せないこともある。母親との関係は簡単に切ることができないが故に、ひとたび上手くいかないと双方にとって多大なストレスとなってしまうのだろう。なぜ、母親と娘は上手くいかないのか。どうすれば、母親と娘はより良い関係を築けるのだろうか。

 斎藤環氏著『母と娘はなぜこじれるのか』(NHK出版)では、母娘の複雑な関係を対談形式で暴き出している。田房永子氏、角田光代氏、萩尾望都氏、信田さよ子氏、水無田気流氏と語り合うことで、斎藤氏は前著『母は娘の人生を支配する―なぜ「母殺し」は難しいのか』(日本放送出版協会)で示した内容から一歩進んだ形で、母娘論をすすめている。

 母娘関係がこじれてしまう原因として、斎藤氏は女性の身体性に注目している。娘を育てる際、母親は無意識のうちに「女性らしさ」を目指したしつけを行なう。しとやかな仕草、おっとりとしたしゃべり方、優美な服装や身のこなしなど、「女性らしさ」には、女性らしい身体性が不可欠だ。「女性らしさ」とは「(世間が期待する)母性」でもあり、「他者の欲望をより惹き付け、かつ要求に応える身体を持ち、他者に気に入られるような受身的存在」でありながら、同時に「やさしさや従順さといった態度でもって、自分の欲望は放棄する」ということなのだ。こうした身体性を持つように正確に教え、しつけられるのは母親だけだろう。つまり、母親は娘を育てる時、息子の場合とは異なり、他人に気に入られるような身体の獲得を目指すのだと斎藤氏はいう。

 このため母親による娘のしつけは、ほとんど無意識的に娘の身体を支配することを通じてなされがちだ。斎藤氏曰く、すべての娘達の身体には母親の言葉がインストールされ埋め込まれ、娘を縛り付けている。母親としては「あなたのため」「よかれと思って」という意識なのだが、その言葉が娘の負担になってしまう場合も少なくない。時に、母親は、娘に夢を託したり自分ができなかったことを娘に望むなどの「人生の生き直し」すら期待してしまう。こうした無意識的な支配は、高圧的な命令によってではなく、表向きは献身的なまでの善意にもとづいてなされるため、支配に反抗する娘たちに罪悪感をもたらしていく。

 例えば、著書『母がしんどい』(新人物往来社)が話題の田房永子氏は、斎藤氏との対談の中で自身が母親から支配を受けた経験について触れている。田房氏は習い事や進路、髪型や部屋に置く家具まで勝手に決めてくる母親に強いストレスを感じ続けていたという。社会人になって家を出ても、母親は職場に電話をしてきたり、田房氏がアパートの1階に住んでいた時は鍵がかかっていると、ベランダから侵入して窓を叩いたりされた。毎日のように「お前は何をやってもこの先ダメだ」などのように人格や未来を否定する言葉を投げかける母親と、取っ組み合いのケンカになることもしばしば。だが、母親は定期的に「うちは離婚しないし、借金もないし、ギャンブルもしないし、お父さんは働いているし、本当に幸せよね」と笑顔でいうため、田房氏は「うちはとても恵まれているんだ、ありがたいと思わなくちゃ」と自分が辛く感じていることに罪悪感を覚えていたそうだ。

 今は母親と適度な距離を置けているため直接的な被害はないが、田房氏は母の「呪詛」に苦しめられるという。例えば、田房氏は、母親からいつも「あんたが悪い」といわれて育ったため、いつも「諸悪の根源は自分」と感じてしまうクセがあるという。また、母親との関係が不安定だったため、夫や子どもへの対応に不安を覚えることが多いそうだ。

 田房氏のケースは極端な例であろうが、全ての娘に共通する部分も見てとれる。母親が完全に悪人ならば、何も悩むことはないのだろう。だが、母親が与えてくれた影響の中には良い影響もある。結局最終的に感謝しなければならない部分が大きい。嫌な部分だけを捨て去ることが出来れば良いのだが、それが難しいが故に母親と娘の関係は難しいのだろう。斎藤氏は、問題の存在に気づくことが第1歩であり、第3者の介入も有効だとしている。母親と娘をめぐる問題の根はまだまだ深そうだ。

文=アサトーミナミ