英語は“まず会話から”はウソ? 達人を目指すならまず「読む」べし

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更新日:2014/4/2

 新学期、新年度を迎え、何か新しい事を始めたくなる季節だ。毎年この時期になると、一念発起して「英語」をという人も多いはず。そんな人にまず読んでもらいたいのが、この『英語達人列伝―あっぱれ、日本人の英語』(斎藤兆史/中央公論新社)だ。

 この本では英語の達人として、幕末から明治、大正、昭和にかけて政治、教育、宗教など様々な分野で活躍した以下の人物達のエピソードが1冊にまとまっている。

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・新渡戸稲造…5千円札でお馴染み。世界的に知られる『武士道』を英語で記す
・岡倉天心…東京美術学校(現在の東京芸大)初代主幹。日本美術を英語で海外に伝える。
・斎藤秀三郎…海外でも高い評価を受ける英文法書を記した日本人。
・鈴木大拙…禅思想を英語で紹介。
・幣原喜重郎…ロンドン海軍軍縮条約の締結に尽力。終戦後の憲法草案作成に関わる。
・野口英世…細菌学者で偉人として馴染み深いが、本書では英語習得への意欲と共に、その陰も紹介。
・斎藤博…外交官として日米開戦の回避に尽力した人物。
・岩崎民平…新英和大辞典・ポケット英和辞典などの編纂で知られる。
・西脇順三郎…英文学者・たびたびノーベル文学賞候補に。
・白洲次郎…「従順ならざる唯一の日本人」と称され、やはり憲法草案作成に立ち会う。

 本書を読み通すと、日本人と英語の関係は日本の歴史とともに変化を続けてきたことがわかる。明治維新以降しゃにむに進められた欧米化政策、その後日露戦争を経て、軍国化の一方で英語教育は縮小し、敗戦後、再び英語での交渉が国の命運をも左右する時代があり、現在の日本の姿がある。

 日本人は受験勉強のおかげで英語の読み書きは得意だが、英会話能力が弱いという意見を良く耳にする。実際、国によって進められている教育制度改革でも、会話力強化を目指すとされている。

 しかし、本書を読むとそれが本当に正しいことなのか、疑問を覚えるようになるはずだ。本書に登場する「達人」たちは皆、まず徹底的に英文を読んでいたことが繰り返し強調されているからだ。

 著者は次のようにも述べている。

「言葉というものは、赤ん坊のときからコミュニケーションを通して習得するものだといっても、外国語学習者が赤ん坊に戻れるわけでなし、教師も赤ん坊の言葉づかいをするでなし、おのずと違った外国語学習の戦略が必要となる」

 また、著者は英語教育における母語話者(ネイティブスピーカー)至上主義にも警鐘を鳴らす。ネイティブスピーカーが必ずしも文法や英語の用法の本来の形に習熟しているわけではないからだ(これは日本語を話す私たちに置き換えてみれば明らかだろう)。そして、何よりも、ネイティブスピーカー礼賛は、日本人の特性を踏まえた上での真の国際化を阻害するという。達人たちの英語との向き合い方を紹介する中で筆者は以下のように主張している。

「――僕はそういう(筆者注:ネイティブスピーカーならではの省略や文法を無視した言い回しや、自分の主張を強く押し出す姿勢など)技術や言語使用の理念までを押しつける英語教育に対して疑問を投げかけてきた。それは日本の欧米化を促しはするだろうが、日本人の真の国際化の助けにはなるまい」

 大学在学中に図書館の蔵書を丸々読破するなど、「達人」と称されるだけあって、彼らの努力やその結果得られた英語力の高さには舌を巻くしかない。それは凡人が真似できるようなものでもないし、本書で指摘されているようにこの域に達した人物は、努力を努力としてことさらに自覚する次元を超越しているため、そもそもノウハウと呼べるような内容を彼らから得るのは難しい。

 しかし、彼らが生きた時代背景を思い描きながら本書を読み進めると、なにが彼らを英語に向かわせたのか、その理由は豊富な資料と共に余すところなく紹介されている。その姿は、原発事故、靖国問題、オリンピックなど世界に対して適切なメッセージを発信しなければならない(そしてその多くは誤解されている)、現代の日本人にも重なるものがある。

 これは英語に限ったことではないが、何かを学ぶとき、そこに強い必然がなければモチベーションが続くことはない。『英語達人列伝』は何かを学びたいと思ったとき、まず手にとって欲しい1冊なのだ。

文=読書電脳