歴代編集長が振り返る、雑誌「ダ・ヴィンチ」20年史

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/22

作家ではなく俳優を起用した表紙、そしてカラービジュアルあふれる誌面……“本の情報誌”としては意外な姿で登場した『ダ・ヴィンチ』は、今年4月で創刊20周年を迎えた。時代の空気や読者の要望と呼応してさまざまに変化してきた同誌が、誌面の陰でどんな試行錯誤が繰り広げられていたのか、『ダ・ヴィンチ』5月号では歴代編集長とともに振り返っている。

ダ・ヴィンチの準備室ができたのは1993年10月。当時の発行元リクルートの新規事業開発室に寄せられたアイデアが事業化し、編集長には長薗安浩が就任。総勢10人ほどのメンバーが集められたが、創刊できるかどうか危ぶまれるほど状況は厳しかった。

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「“ダ・ヴィンチ”の名前は会社が商標登録を持っていたし、“万能の天才”という意味で、あらゆるものを包含する“本”という存在を象徴するのにピッタリだったからタイトルはすぐに決まりました。雑誌のキャッチコピーは“本で広げるあなたの好奇心”。しかしちょうどあの時、リクルート事件の裁判がはじまったのと、広告情報誌を得意とするリクルートが書籍広告市場に参入すると思われて、マスコミや出版業界の風当たりはものすごく強かった。作家や著名人に取材の申込みをしてもことごとく断られました。それでも表紙に全国的人気の知的な著名人に本を持って登場してもらうことだけは、なんとか実現させたかった。極端な話、ダ・ヴィンチの成功は表紙にかかっていると思っていたからです。そこで94年の2月、表紙候補として考えていた本木雅弘さんが写真集を出版したことを知り、紀伊國屋書店で行われた出版記念イベントに駆けつけました。そこで直接ご本人に事情をお話ししてお願いしたところ、快く引き受けてくださったのです」

彼が創刊号で手にしたアゴタ・クリストフの『悪童日記』は売れゆきがよくなり重版もかかって、ダ・ヴィンチ本誌もほぼ完売。その反響が業界でまたたくまに話題となった。

「とにかく表紙はパッと見て本の雑誌だとわからないほど、堂々としたメジャー感を出すことにこだわりました。もうひとつ僕が明確に決めていたのは“本から入らない本の雑誌”にすることでした。本から入ると読者層は限られてしまうから、総合誌的なテーマで特集を組んで最後に本に落とすことを徹底した。具体的に言うと(1)人から本(2)世相から本(3)本の周辺から本(4)データから本の4つの柱を軸につくりました」

2号目、3号目は様子見の感もありやや部数は落ちたものの、「今、サイコ・ホラー小説は現実の恐怖に勝てるのか!?」と「作家に学ぶ“自殺”という死に方」の2本を特集した4号目は、創刊号に並ぶ実売部数を記録した。

「あのときやはり方向性は間違っていないと確信しました。ただ最初の1年は実験するつもりでかなり挑発的な特集も組んだので、毎号、発売日直後に取材や抗議の電話がきていたのも事実です。例えば、一度やってみようと決めていた犬の表紙の号では、異常なペットブームの特集を組んだのですが、偶然、雑誌発売直前に埼玉愛犬家連続殺人事件の夫婦が逮捕されて、マスコミから取材の電話が殺到しました。地下鉄サリン事件が起きた直後には“洗脳からくり講座”を特集して、宗教団体に訴えられるギリギリの線まで記事に。ストーキングという言葉を使ったのもダ・ヴィンチが最初です。でもどんな切り口のテーマでも本に落とし込む。それがダ・ヴィンチの特徴でした」

もちろん、ストレートに本好きの読者に向けた企画もあった。特に評判がよかったのは、「あの人がすすめる10冊」特集だ。「あれは反響がすごくて、ダ・ヴィンチ本誌と著名人オススメの本を一緒に並べる書店も出てきたので連載化しました。デビュー間もない作家のいしいしんじ君にも10冊企画に登場してもらったんですが、ダ・ヴィンチ創刊当初、彼は編集に関わっていたんですよ。ブックデザインも帯のキャッチコピーも本の魅力だから、「装丁大賞・腰巻大賞」の連載も創刊号からはじめました。他にも、本にまつわる疑問を調査する北尾トロさんの連載や、アラーキーが小説をテーマにヌードを撮り下ろす連載まで、いろんな角度から本の魅力に焦点を当ててきました」

そして長薗は創刊から5年目を迎えた98年4月、雑誌としての立ち位置が定まってきたダ・ヴィンチ編集長の座を副編集長の亀谷誠に譲った。しかし約10カ月後の99年1月末、亀谷が急逝してしまう。享年36歳。毎晩、仕事が終わったあともグラス片手に作家や本の魅力を熱く語り、作家や編集者たちにも人望が厚かった彼の早すぎる死に、関係者は大きな衝撃を受けた。しかしダ・ヴィンチに対して人一倍思い入れの強かった彼の遺志を継ぐべく、編集部はまた動きはじめる。編集長は、長薗と同じくリクルートの情報誌に長く携わってきた大野誠一が兼務した。

「あの時代は世紀の変わり目だったこともあり、世の中が浮き足立っていてキワドイ特集が多かった。実際、反響もよかったんですが、僕が編集長をやっていた2年間のダ・ヴィンチは、ほとんど“愛と死とセックス”がテーマでした」

「エッチな女性が好きですか?」、「『愛人』の資格と作法」、「オカマに学ぼう! 人気者への道」「今こそ知りたい! SWAPの作法」……。確かに特集タイトルだけ見ると、まったく違うジャンルの雑誌かと思わせるほど、今からは想像できない過激なテーマのオンパレードだ。

そんななか、読者に立脚した大特集も年に1回やることが決まった。亀谷時代に特集した「日本人の読書白書」が好評だったことを受け、読者が選んだ本のランキングを紹介する特集「Book of the Year」が2000年1月号からはじまったのだ。この企画は、ご存じの通り毎年恒例の目玉企画となっていて販売部数も伸びる。また、後の編集長となる横里隆の提案で、山岸凉子さんの連載「テレプシコーラ/舞姫」がはじまったのもこの年の10月だ。

「もうひとつ忘れられないのが、大江健三郎さんの『宙返り』の取材に同行したとき、これほどカラーグラビアの多い本の雑誌は世界でも類がないねとダ・ヴィンチをとても評価してくださったことです。創刊以来、賛否両論あったことは長薗や亀谷からよく聞いていたので、あのときの大江さんの言葉には本当に励まされました」

そして世紀が変わった2001年1月号から、ダ・ヴィンチで率先してマンガ企画を担当してきた横里隆が4代目の編集長となる。この頃から、記事のマンガ比率が急激に増えていったのはいうまでもない。

「ダ・ヴィンチはもともと文芸路線だったけれど、僕にしてみれば小説もマンガも同じで、どちらも読者の人生を左右するほど影響力をもっていると信じていた。そのことを創刊以来ずっと編集会議で言い続けて、あの手この手で記事をつくってきたわけです。97年にコミック ダ・ヴィンチの連載をスタートして、最初の扉ページで、ちばてつや先生に矢吹丈が本を持っているイラストを描き下ろしていただいたときは感動しました。そんな僕が編集長になったわけですから、小説もマンガも分け隔てなく扱って、記事や企画を立てていきました」

マンガ以外で横里の思い入れが強かった特集は「迷ったときには、松田優作に還る。」と「スナフキンにさよなら」。特に後者は、編集会議で出し続けて何度も却下された企画である。

「編集者はやっぱり自分の思い入れが強い記事をつくったほうがいいものができるんですよ。ただ、単に好きなだけではダメで、大切なのは“なぜ今やるのか?”ということです。優作特集で考えたのは、いつの時代でも人は悩むし迷うものだから、そういうときは松田優作に還るという切り口だったらいつでも“今”になると。スナフキンも大人と子どもの中間的存在として僕らを導いてくれたけど、誰だっていつかは大人にならなきゃいけない。つまりモラトリアムからの脱却をテーマにすれば時期は関係ない。あと懲りずに企画会議で出し続けると、そのうち他のメンバーも慣れてきて“アリかもしれないね”と賛同してくれるようになったのもラッキーでした(笑)」

さらに横里は中島みゆきさんの大ファンで、2回特集もした。蒼井優さんに対する思いも熱く、彼女には何度も表紙に登場いただいた。しかしダ・ヴィンチ在籍中もっとも刺激的で忘れられない体験は、編集を担当した2000年9月号のスワッピング特集だったという。

「さすがに表紙にスワッピングという言葉は入れられなくて、“SWAPの作法”にしたら、“SMAP”特集と間違えて買った読者から怒りの手紙が来ました(苦笑)。ダ・ヴィンチであの特集が成り立ったのは、宮台真司さんがその効能を社会学的に分析してくれたからです。宮台さんにはずっと連載もしていただいてすごく勉強になったし、当時のダ・ヴィンチの考え方の軸をつくってくれた方だと思います。他にも爆笑問題やしりあがり寿さんの連載など、担当した企画はどれも楽しくて思い出深いものばかりですね」

ちなみに「テレプシコーラ/舞姫」担当だった横里は12年前からバレエ教室にも通い続けている。

その後、21世紀に突入しネットやケータイが普及すると本離れが加速。これまでのやり方にテコ入れする時期が来た。

「総合誌的にライトな本好きに向けての特集をずっとやってきたわけですが、時代とともに読書の優先順位が下がってきたので、ターゲットを絞ってよりコアな本好きに向けた企画を増やしました。人気の作品や作家の特集、プラチナ本の連載などがそうです。とにかく本やマンガをよく読む人をかき集めるという感じでしたね」

その流れを引き継いだ現編集長の関口靖彦は、さらに大特集路線にシフトチェンジする。

「本好きの読者にちゃんと買っていただくために、特集をそれまでの倍以上の32~40ページに増やしました。コアな本好きにも満足してもらえる情報の量の多さと深さがないと、立ち読みで終わってしまいますから。その変化が最初によく表れたのが“男と、本。”特集だったと思います。グラビアを贅沢に使って登場してくれた人物ひとりひとりを丁寧にクローズアップしました。さらに描き下ろしマンガや哲学者の談話など多角的な視点で構成して読み応えのある特集に。これは大きな反響がありました。他にも、荒木飛呂彦さんや『水曜どうでしょう』の特集は想像以上の反響で、大幅な部数増につながりました。私が編集長になって初めて試みた、マンガ家描き下ろしイラストの表紙も注目を集めました」

横里の時代から、写真の加工によるインパクトや雰囲気重視になっていた表紙も、2012年5月号で人物をはっきり見せる白バックの体裁に戻した。直球勝負の姿勢の表れでもある。

「特集以外では、15年前の入社1年目から当時まだ若手だった益田ミリさんの連載を担当してきたので、一緒に成長させていただいたようで感慨深いです。穂村弘さんの連載も長く担当しているのですが、「短歌ください」の投稿数が減るどころか増えていることに毎月感動しています。派手な特集がある一方で、大ヒットはしていないけれど実は面白い本がたくさん載っているのもダ・ヴィンチ。私自身、そういう本をたくさん読んできましたから、人の目に触れる機会が少ない良書もたくさん紹介したい。ですからまずは特集で手にとってもらって、そこからさらに本の世界の奥深さを楽しんでもらうようなつくりを心がけています」

若者が本を読まなくなったと言われて久しいが、新しい世代の本好きたちもしっかりついてきてくれているようだ。

「毎年、10組ほどの中高生が修学旅行や社会科見学でダ・ヴィンチ編集部を訪ねてきてくれるのは嬉しいですね。そんな読者のためにも、すばらしい本の存在を伝え続けていくのがダ・ヴィンチの使命だと思っています」

構成・文=樺山美夏/ダ・ヴィンチ5月号「ダ・ヴィンチ20周年記念特集」