高齢化するニート、引きこもり… 働かない息子・娘に老親ができることはあるのか

出産・子育て

公開日:2014/5/5

「日本の親は子どもに“飛べ”と言いながら、足首をつかんで放さない」

 仕事に就かず、結婚もせず、部屋からも出ず、親の貯金や年金で生活しているおとなのひきこもりが急増しているという。しかも、日本の高齢化に伴い、ひきこもりも熟年化。経済学者の玄田有史・東京大学教授が提唱した20~59歳の「孤立無業」の推定人数は、2011年で162万人にものぼり、2001年と比べると、10年でほぼ2倍に増えたことになる。

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 昨年末に出版された『働かない息子・娘に親がすべき35のこと』(泰文堂)は、そんな子どもを持つ老親たちに、全く真逆の選択肢を指し示している。ひとつは、親が子離れし、子どもを「自分の足」で歩かせる方法。もうひとつは、子どもの自立をあきらめ、親の死後も、親の遺産で暮らさせる方法だ。

 前半の語り手は、20年にわたり1200人あまりの若者の社会復帰を支援してきたNPO法人ニュースタート事務局理事の二神能基氏。右肩上がりの高度成長期を生きてきた親の世代と、経済の衰退期に入った子の時代は、仕事の価値観が違うことを、まずは親が認めるところから始めなければならないと説く。特に30代以上の場合、20世紀と21世紀を生きる自分自身の価値観の両方が内にあるが故に激しく揺れ動くという。自分の生き方は、親の望む道、いわゆる大企業に就職し、正社員となり、激しい競争社会を勝ち抜いて出世するといった王道とは異なると分かっているはずなのに、親に言われると、そうしなければならない気がして、余計に感情がねじれるのだ。

 その解決策として、1.まず親が子に対して、「正社員になれ」ではなく、「幸せになれ」と思うこと、2.暴君化した子に服従したり、腫れ物に触るような接し方をしたりするのを止めること、3.外部に支援を求めること、4.「ひとり暮らし」をさせるか、「寮」に入れること、5.「やりたいことを見つけろ」ではなく、「一番嫌でない仕事からとりあえず始めてみては」とハードルを下げるなど、さまざまな方法を挙げている。二神氏のアドバイスは、経験に裏付けられていて、読んだ親たちは希望を見出せそうだ。

 一方、後半の語り手は、ファイナンシャルプランナーの畠中雅子氏。経済的余裕が比較的ある親たちに対し、自分たちの死後も、子が働くことなく、引きこもるのに十分な家や財産の遺し方を説明している。

 正直なところ、畠中氏の案は受け入れがたかった。なぜなら、彼女のアドバイスが、子の自立を促すものではなく、親が死んだあとまで、ひきこもりの要因となった親のエゴと過保護を子に押し付けるものだからだ。さらに引っかかるのが、サポート役となるもっとも身近な存在に兄弟姉妹を挙げていること。生きているうちから「自分が死んだら、あの子を頼む」と親が頭を下げておけば、きっと理解してくれるはず…とは楽天的すぎる。そもそも、そこでほかの兄弟姉妹の足首まで、再び親につかませようとする意図は何なのか。

 暴君化した兄弟姉妹と、奴隷化した親。何度、外部に支援を求めろと言ったところで世間体を気にする当人たちに声は届かず、あるのは底なしの暴力と、負の連鎖だ。ひきこもりの兄弟姉妹がいることから、自分は普通に暮らしていても、婚約や結婚が破談になることも珍しくない。ひきこもりの子に依存する親の気持ちを理解するも何も、彼らは被虐なのだ。畠中氏の言動は、そんな家庭環境からなんとか抜け出し、自力で必死に生きている兄弟姉妹のトラウマや自責の念を深めるものだし、その無責任な発言のすべてが、言い方は悪いが、しょせん「裕福な親世代からお金を貰って生活している人」そのものだと感じる。

 「仕事中心の20世紀型社会と、家族と生活中心の21世紀型社会へ」―今、私たちはその渦中にいる。つまづいたり、戸惑うのは、自然なことだけど、果たして、その歪みから生まれる暴力性まで、親や兄弟姉妹が受容すべきものなのか。「家庭内暴力」という都合のいい言葉でカモフラージュしているだけで、それは時として傷害や殺人未遂と呼べるものではないのか。いくらひきこもり側に立った内容とはいえ、同書の「暴力を理解せよ」という論調には、最後まで強い違和感を持たざるを得なかった。

文=山葵夕子