路上ライブ、元ヤクザとの出会い…なぜ彼はうつ病を自力で克服し、世界中を飛び回れるようになったのか

暮らし

更新日:2014/6/13

現在の阪口裕樹氏

 日本人が一生のうちにうつ病を発症するのは、15人にひとりと言われている。決して他人事ではない数字だ。カウンセリングや薬物治療など、さまざまなアプローチがあるものの、『うつ病で半年間寝たきりだった僕が、PC一台で世界を自由に飛び回るようになった話』(朝日新聞出版)の著者、阪口裕樹さんは、人と会うのが怖い状態から抜け出す一番のきっかけは「人に会う」ことだという。

 「世界に出たい」という想いだけを胸に起業を決意し、仕事への悩みや不安から発症したうつ病を自力で克服。今ではバンコク、チェンマイ、ハノイ、ヴィエンチャン、パリ、フィレンツェ、バルセロナ、リスボンなど、世界を自由に旅しながら旅資金を稼ぐライフスタイルを続けるパワートラベラーとなった阪口さんに、その経緯と現在の暮らしについて伺った。

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■うつ病が治るのが怖かった
 うつ病だったときは、治したくありませんでした。治るのが怖かったんです。うつ病になって退職すると、誰からも「がんばりなさい」と言われなくなるので、自分自身も「うつ病だから、がんばらない」という思考になります。病気の間は、周りも守ってくれるし、そこからあえて治して外へ出る動機も見つからない。であれば、うつ病のままのほうがよいと考えていたんです。

■偶然の出会いが再起のきっかけ
 自殺未遂をしてからは、家族と医者以外の誰とも会わない日々が続いていました。家族は何も言わずに見守ってくれていましたが、その優しさが痛くて、家の近所にある桟橋で何をするともなく過ごすことがありました。そこへ「釣りしても、いいかい?」と現れたおっちゃんが伊波さんです。伊波さんは石油会社の重役で、たまたま3日間だけ仕事でこっちへ来ていて、なまずを釣りながらふたりでいろんな話をしました。

 とても元気そうに見えた伊波さんも、奥さんを亡くされてから2年間、うつ病を患っていた時期があると話してくれました。「男が何かを見つけるためには絶対に仕事をしなければならない」と口にしたとき、それは僕に対しての言葉というより、自分に言い聞かせているようで、だから響いたんだと思います。「世界へ出たい、起業するしかない」と思ったのはそのときです。それまでの僕がどうしてもダメだったのが、ひとつの空間でずっと同じ人たちと一緒に仕事をすること。その居心地の悪さに押しつぶされそうになるから、もし僕が再び働ける道があるとするなら、ひとりでできる仕事しかないと思いました。

■中途半端な夢にケリをつける
 夢があるって響きはいいんですけど、その夢が中途半端であればあるほど、逃げ場にもなります。「本当にお前がなりたいのは、小説家やアーティストだろ」と脳の端のほうからモヤモヤとした声が聞こえてくる。再出発するにしろ、自分の捨て切れない夢が本当に思い描いている通りのものなのかを見極めないと先には進めない。それで3ヵ月間、ベース1本を持って、車中泊で日本縦断をすることにしたんです。うつ病で退職してから半年が経っていました。

 最初に路上ライブを決行したのは、地元のJR成田駅前。いざやってみると、足がガクガクと震えました。とにかく人の目が怖い。「誰も見ないでくれ!来ないでくれ!」と、誰とも目を合わせないように弾いていました。その後も一事が万事、そんな調子です。実際やってみると「音楽で稼ぐ」というライフスタイルは、人見知りの僕には苛酷すぎたんです。

 そこで新しい選択肢を見つけなければと、たどり着いたのがパソコン1台で稼ぐこと。そうなると、株かFXかアフィリエイトくらいしかない。僕は資金もないし、相場もよくわからないから、残るのはアフィリエイトしかなくて、それしかないから選んだという感じです。

 当時の僕は、人脈や技術、資格もなければ、社会で通用するどんな能力も持ち合わせていなかったから、自分の能力から仕事を探すのではなく、自分が理想とするライフスタイルをまず思い描いて、そのライフスタイルを叶えられる仕事を逆算して考える、という仕事の選び方をしました。その理想とするライフスタイルが世界を自由に飛び回ることで、場所を問わずにできる仕事が必要でした。アフィリエイトは、それにうまくはまったんです。

■対人恐怖症を克服するために「強制」リゾートバイト
 そこからいろんなサイトを見て研究した結果、趣味サイトと収益をあげられるサイトの一番の違いは、人の悩みを解決できるか否かであることに気づきました。ところが、僕ときたら、その1年の間で話したことのある家族以外の人って、本当に伊波さんくらいで、世間の感覚も忘れていたし、まして人の気持ちなんてさっぱり分からない(笑)。そんな人間に収益サイトを作るのはまず無理です。これはさすがにまずいぞと。環境を変えて対人恐怖症を無理やりにでも克服しないと起業はできないし、お金も稼がなければならないとなると、思いつく仕事は住み込みバイトしかありませんでした。

 福岡の孤島へリゾートバイトに行く前日、声の出し方を忘れていたので、ひとりカラオケでブルーハーツを選曲して気合を入れました。ところがいざ現地に着くと周りは九州男児だらけでバリバリの体育会系。もう戦場(笑)。ただ、うつ病によって心がどんどん病んでいく状態と比べると、久しぶりの肉体労働による「体がつらい」という状態は、なんて楽なのだろうと思いました。体を動かしているときや、筋肉痛のときって、そういう心の痛みを忘れられるのと同時に、働いている感がわいてくる。分かりやすく言えば、単純だったんです。働いて、まかないを食べて、寝る。しかも、孤島だったからネットがつながらず、雑音を全部シャットアウトできたのもよかった。

■「這い上がるしかない」あいりん地区デビュー
 リゾートバイトでお金を貯めたあとは、大阪のあいりん地区へ向かいました。あの這い上がるしかない感じは独特で、実はつい最近も戻ったばかり。ほっとするんです。

 あいりん地区は、日本縦断をした際に一度だけ泊まったことがありました。「大阪 格安宿」でネット検索したら、1泊1200円や1500円の宿が密集している地域があった。実際に行ってみると想像以上に汚くて、労働者やホームレスだらけ。世間から省かれてどこにも行き場がないまま、そこに流れ着いたような人しかいません。そのアウトロー感に、不思議と心が落ち着きました。物価も安いし、何より誰も人の目を気にしていない。「ここでなら、やりなおせるかもしれない」と直感的に思ったのがきっかけでした。

 安宿の共同浴場で元ヤクザの中條さんが入ってきたときは、「やべえ、捕まった!」と思いましたね。中條さんは入れ墨もないし、指も全部揃っているし、見た目は陽気な草野球の監督みたいなおっちゃんです。なのに、タダ者じゃないオーラが漂っていました。あの人は本当にありがたくて……。うつ病になって、それまでの友達に誰ひとり連絡をできず、ひとりぼっちで、ずっと苦しい。そんなどん底にいるときに声をかけてくれて、それも「阪ちゃん」って呼んでくれました。本音も建て前もなく、すべてをあけっぴろげで向き合ってくれる人がいる。それがこんなにもうれしいことなのかと、生まれて初めてくらい、人のありがたみを教えてくれたのが中條さんでした。

 中條さんへの気持ちは複雑で、一生会わないほうが良いようにも思います。別れ際に「何かあったら連絡せえ」と言われたのですが、その何かは起こっちゃいけない何かです。それこそヤクザに絡まれたとか、ものすごい理不尽な借金のトラブルを背負ったとか。だから、連絡しないことが僕にとっては一番の恩返しだと思っています。

■マイナスをプラスに変えるには
 うつ病で自殺未遂をしたときの孤独というのは、物理的にも環境的にも精神的にも外に出られず、成すべくしてなった孤独です。それはあいりん地区で感じた孤独とは明らかに違います。外に出られているにも関わらず、お金も稼げていない。身なりも汚い。男としての価値も低い。その状態では、誰にも相手にされない。自分のライフスタイルや仕事がかたまって、初めて人との関係性を築き上げられるのだと痛感した。そんな孤独でした。

 ひきこもり状態から抜け出すには、外部からの刺激はやはり大事です。甘えられる環境があるとそれが得られないんです。だから、マイナスをプラスに変えるには、まずは今までの知り合いがいないところからスタートするのがよいと思います。健康上の理由など、ひきこもってしまう理由は人それぞれで一概には言えませんが、かつての僕のように甘えがあって抜け出せない場合はそれが一番じゃないかと。

 あいりんで生活したことで、それまでの自分は衣食住があるのが当たり前だと思っていたことに気づかされました。それが一変して、衣食住が成り立たない状態に身を置くと、ものすごくつらい。普通に働いているだけでは、そのハングリー精神は湧いてきません。中・高・大と卒業して就職して、企業に入って「お金をもらう」のと、自分でゼロから「お金を獲得する」のとは、ぜんぜん違います。前者は自己承認欲求でもがきますが、後者は生存欲求でもがくんです。あいりんにいると冬の寒い日に外が晴れているだけで「めちゃくちゃ暖かい。ラッキー」と思う。そういう生存欲求を知ると、自己承認欲求はさほど気にならなくなります。

■運命の人と出会う
 海外のさまざまな国で部屋を借りて、そこで働きながら数ヵ月間過ごす。パワートラベラーとして、そんな暮らし方ができるようになった今も、性格は変わらないんです。自分から積極的に人に話しかけるのは苦手ですし、国際交流もできません。日本にいたって、積極的に交流できなかった人間が、世界に出たからって積極的に交流できるわけがない(笑)。ただ、異国でひとりはやっぱり寂しい。それでどうすればいいかと考えたとき、向こうから来てくれる仕組みを作ろうと思ったんですよ。どういう風に仕事を組み立てていけばいいかを真剣に考えました。

 自分の想いを発信して、それに共感してくれる人と出会おうと、フェイスブックを本格的に勉強したり、読まれる記事を研究してサイトにアップしていたりしたら、それがうまくバズって、結婚相手ともめぐり合うことができました。彼女もまた、女性らしい起業、女性らしい働き方を目指していて、自分の価値観のもとに生きている。とても魅力的な人です。入籍日も決まっていて、8月に結婚式なんですけど、9月1日からふたりで出国します。今後はふたりで旅するとなると、地中海のマルタ島のような、高級リゾート地でも暮らしてみたいじゃないですか。え? 安宿に彼女と?…連れて行きませんって(笑)。

取材・文=山葵夕子