いま、改めて問う家族の物語。天童荒太『家族狩り』ドラマスタート

テレビ

2014/7/4

 7月4日、夜10時よりTBS系でドラマ『家族狩り』がスタートする。
 原作は『永遠の仔』(幻冬舎)『包帯クラブ』(筑摩書房)の天童荒太の同名小説。文庫本で全5巻、1,700ページを越える超重量級の作品だ。

 物語の中心人物となるのは、児童相談センターに勤める氷崎游子、高校教師の巣藤浚介、刑事の馬見原光毅。家族とのつながりに悩む3人が自らの問題と向き合い、再生しようとする様が、連続して起こる一家変死事件のてん末とともに語られていく。

 物語の核となるのは、壊れた家族の絆である。

 氷崎游子の場合。
 アルコール依存症の父に虐待される少女を救おうと、游子は親と娘を切り離そうとする。しかし、彼女は時として苦悩する。「親子の結びつきを、他人である自分が断ち切る権利はあるのか」と。また、游子自身も両親との関係に悩んでいる。父親は介護が必要、母には忙しい時に父の世話を任せており、家の中は不安なことだらけだ。

 巣藤浚介の場合。
 彼は抑圧された子ども時代を送った人間だ。「欲望を捨てきれない自分を責めて生きろ」と両親に言われ、「地球を滅ぼす消費社会の価値観に、染まってしまうのではないか」という理由で遠足や課外授業に行くことを禁じられたりもした。やがて家族から逃げた浚介だが、家族という存在に対する不信は拭いきれない。恋人に「妊娠した」と告げられた彼は、「いらねえぞ、家族なんて」と吐き捨てるように言う。

 馬見原光毅の場合。
 厳格な教育が裏目に出た結果、彼は息子を不慮の事故で亡くしてしまった。控えめで夫の言うことに従い続けた妻は、精神を病んで入院。娘は「全ての不幸は父親にある」と反抗し、光毅と絶縁状態になる。だが崩壊寸前の家族から、光毅は目を背けてしまう。代わりに癒しを求めたのは、事件を通して知り合った冬島綾女・研吾の親子。暴力団関係の元夫から逃れるのを手伝い、研吾から「おとうさん」と呼ばれるまで親愛の情を深めたこの親子と本当の家族の間で、光毅は揺れ続けることになる。

 登場人物の誰もが家族との関係で心の傷を負い、苦悩している。その傷の深さ故に素直に感情を表に出せず、また傷つく。あまりにも不器用でもどかしい人間の生きざまが、刻印のように胸に刻まれる小説だ。

 並行して描かれる一家連続変死事件もまた、生きづらくなった人間の物語を内包している。作中、光毅と浚介が出くわす最初の事件では、被害者一家の息子がまるで何かに祈りを捧げるような格好で死んでいた。そして現場に残されていたノートには「あいを みました ほんとうのあいをみました もっと はやく きづけば よかった ごめんね」という文字が。

 なぜ息子は祈るような姿で死んでいたのか。“ほんとうのあい”とは何なのか。ラストで真相が明かされる時、“救い”を求めるあまり、歪な精神を抱えてしまった人間の悲劇が見えてくる。同時に善悪では割り切ることのできない問いが作者から突き付けられ、読者を深く考え込ませることになるのだ。

 『家族狩り』(新潮社)は1995年に発表され、96年に山本周五郎賞を受賞。04年にほぼ全面改稿に近い形で加筆修正された文庫版が刊行された。10年近くの歳月をかけて大改稿した理由について、天童は文庫版第1巻のあとがきにおいて「現在の社会状況」を反映させ、「いま現在、日々を懸命に生きている人々に、届ける必要がある物語や言葉」を紡ごうとした、という旨の発言をしている。

 確かに文庫版『家族狩り』には9.11テロという世界的事件から、オヤジ狩りをはじめとする少年犯罪のような身近な事件まで、90年代後半から00年代前半に世界、そして日本が抱えた死と暴力にまつわる問題が詰まっている。『家族狩り』とは日頃起こる様々な非道から目を逸らさず、それをありのまま伝えようとした天童自身の回想録なのだろう。

 さて、文庫版からさらに10年が経ち、『家族狩り』は再びドラマとして世に問われることになった。そこにはどんな世界、日本の姿が映し出されているのだろうか。

文=若林踏