キャバ嬢に“化けた”女子大学院生に学ぶ、社会学の存在意義

社会

公開日:2014/7/8

 19歳のとき、大澤真幸の『身体の比較社会学〈1〉』『身体の比較社会学〈2〉』(ともに勁草書房)に衝撃を受け、社会学に没頭したガリ勉女学生がいる。彼女は、同志社大学から大学の大学院へと進学したが、その人生を雑誌『小悪魔ageha』(インフォレスト)との出合いによって大きく変えられる。

 彼女は、キャバクラの世界へ足を踏み入れることになったのだ。それも、研究目的で。

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 彼女の名は、北条かや。『キャバ嬢の社会学』(星海社)の著者だ。本書は北条の修士論文をもとに書かれており、その帯の言葉――「23歳の京大院生が、自らキャバクラ嬢となって潜入捜査!」――にあるとおり、彼女がキャバクラで見聞きし、そして体験したことの記録でもある。

 たとえば、キャバクラ入店初日の記述。読者は、素人の女の子がキャバ嬢になるまでの一部始終を目にすることになる。面接を受け、源氏名を与えられ、プロフィール写真を撮られ、お酒の作り方を教わる。生々しいのが、初めての女子更衣室の描写だ。

「堂々とヌープラを直すものもいれば、ヤンキー座りしながら目をひん剥いてアイラインを引くキャストもいる。(中略)フライドポテトのニオイに香水、ヘアスプレーの香り、そしてキャストたちが無造作に置いているハイヒールのミュールや着古したドレスが発する匂いが混じって、なんとも形容しがたいオンナくささに満ちていた」

 キャバ嬢になる前、女という価値を売り物にする同性に憎しみすら抱いていたという著者。しかし、合計10カ月のキャバ嬢生活を経て、彼女は「“性の商品化”を売り物にするシステムに惹きつけられ、ついにはキャバクラ嬢としてみずから“女”を売る存在になって」いく。こうして、女を内面化していく様子は、いちドキュメンタリーとしてもおもしろい。

 ただし、『キャバ嬢の社会学』の本質は、そこではない。本書の本当の魅力は、著者がフィールドワークとしてキャバ嬢生活を送り、あくまで社会学的にキャバクラを分析しようとしている点だ。乱暴にたとえれば、原住民が住む未開の地へと人類学者たちが足を踏み入れるようにして、彼女はキャバクラという場へ乗り込んでいったのである。

 著者は、キャバ嬢として働く経験をもとに、キャバクラ内部にある構造を解き明かしていく。キャバ嬢の賃金制度、女性同士のモチベーションを上げるための評価制度、オーナーからのメールによる心理操作術、男性スタッフのヒエラルキー。また、「素人」を売りとしたキャバ嬢と客の関係がどう構築されているか、そしてそれがキャバ嬢の接客術や精神状態にどんな影響を与えているか…。

 中でも、キャバクラ店内の構造を読み解く箇所は、とても興味深い。彼女は、店内の見取り図から家具の配置、スタッフ・キャスト(キャバ嬢)の立ち位置などから、キャバクラの「客とキャストが密着した一対一の接客ができる構造」仕組みを教えてくれる。

「客は男性スタッフから常に見張られていることになるが、ソファに座っている客には、男性スタッフの目線は気にならない。両者の目線は高さが違うため、交わることはないのだ。客は、不快な思いをせず、女の子とのおしゃべりを楽しめる」

 こうして著者は、キャバクラ、およびキャバ嬢と客の関係を丁寧に解き明かしながら、そこが決して私たちから遠く切り離されたものではないことを示していく。言い換えれば、資本主義社会のなかで成立するキャバクラが、いかに私たちと同じ世界に存在している“現在”の一部であるかを証明していくのである。

 著者が触発された『小悪魔ageha』は廃刊し、一時代の終わりを告げた。北条がキャバクラに潜入したのも、2009年から2010年のことだ。しかし、『キャバ嬢の社会学』の即時性のなさを批判することに意味はないだろう。なぜなら、社会のいちフィールドに光を当て、歴史を記述していくこともまた、社会学の存在意義なのだから。

文=有馬ゆえ