マツコデラックスはいかにして今のマツコデラックスになったのか

エンタメ

公開日:2014/7/16

 マツコ・デラックスをテレビで見ない日はない。どのテレビ局からも引っ張りだこの彼女は、自身を「電波芸者」と名乗り、「アタシの人生は旧時代のメディアと一緒に没落していく」とまで言ってのける。マツコがここまで旧来メディア、特にテレビに恩義を感じている理由とは? それには、マツコがテレビ番組に出演するまで、「自分には居場所がない」と思っていたという過去が関係するようだ。

 マツコ・デラックスの最新エッセイ集『デラックスじゃない』(双葉社)には知られざるマツコの過去や現在、日々考えていることやハマっていることなど、ありとあらゆることをいつも以上にあけすけに語られている。「身体のサイズは178cm、140kgあって、宝塚観劇のイスにもビジネスクラスにも入らない」「浴槽に嵌まって抜けなくなったことがある」「普段は男性の恰好で生活していて、洋服パターンは2つだけ」「よく引っ越しをするけど、面倒くさがりだから、新しいマンションに越しても梱包を解かないで、段ボールに囲まれて暮らしている」なんていう知られざるマツコの日常も気になるところだが、やはり、注目すべきはマツコの過去だろう。

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 マツコは幼い頃は周りのゲームやファミコンしている子たちのことを子ども扱いするような大人びた子どもだったという。話が面白いからか、優等生も不良もみんな集まってきて、仲間外れにはならなかった。だが、友達と遊んでいても、全然楽しくなかったから、学校に行くのが嫌になって不登校になった時期もあるそうだ。当時からポッチャリ体型で、女性を好きになれないことも気づいていた。しかし、性別としての女性になりたいとは思わないし、性同一性障害でもない。男の身体でいることは苦痛ではないし、不自由は感じていないが、女装はしたい。そんな複雑な自分自身に気づいて、思春期は思い悩んでいたという。

 だが、次第にマツコは「もうこうなったら、なるようになれ! 抗っても仕方がない!」と思えるようになっていく。完全に女装するようになったのは、高校3年生の頃。資生堂の企業文化誌『花椿』を見て、服飾やメイクへの興味をはっきり持つようになり、東京・田町駅前のコンビニのトイレで着替えて、メイクしては、倉庫街の「芝浦GOLD」というクラブに通っていたという。

 その後、高校を卒業し、美容学校に通った後、ゲイ雑誌『Badi』の編集部でアルバイトから編集者に。しかし、5年くらいで人間関係がうまくいかずに退社し、実家に帰って引きこもりをしていたが、2年あまりが経過した頃、実家から追い出され、ボロアパート暮らしを余儀なくさせられてしまう。だが、『Badi』での編集者としての活躍を知っていた中村うさぎ氏に対談の相手として抜擢され、「アンタは書くべき人間だ」と言われたことをきっかけにコラムニストデビュー。最初はそれだけでは暮らせず、ドラァグクイーンとしてクラブに出演して小遣いを稼いだり、消費者金融から金を借りて過ごしたが、そのうち、『週刊女性』(主婦と生活社)から連載の声がかかったり、徐々にテレビに出演するようになっていった。

 マツコは、「自分には、居場所のない」と思い続けていたからこそ、テレビという居場所ができたことがありがたかったと語る。ただ、女装をしているだけで意外と考え方はモラリストであるマツコは、税務署と闘って税金を踏み倒してぎゃふんと言わせたとか、公安に目をつけられたとか型破りなエピソードを売りにしているテレビの出演者達に当初は圧倒されたそうだ。周りの話を聞くたびに自らのつまらなさに愕然とし、自身のとるに足らないような出来事を脚色してしまうこともあった。しかし、冷静になった時、「何に対して媚びを売っているんだろう」と虚しくなった。嘘を吐いても自分が傷つくだけ。他人を騙しても意味がない。「自分じゃない自分」で勝負しようとしたことに虚無感を覚えたマツコはもう絶対に嘘はつくまいと決めたのだという。本音で話すことをモットーとしたことが彼女がさらに活躍の場を広げていく契機となったのだろう。

 テレビが自分の「居場所」を作ってくれたことへの恩義から、マツコはテレビに協力できる力が自分にある限りは協力したいと考えており、テレビをいかに盛り上げるか持論も展開している。今、テレビ番組の視聴率が昔よりも低くなってきているが、マツコに言わせれば、テレビを復権させるのは、23時台の総バラエティ化だという。昔も若い人たちは19時台にテレビは見てなかったが、21時からは観ていた。現代はそれが23時になっただけ。2時間後ろにズレたたげで、23時台の番組でも、『マツコ&有吉の怒り新党』や『アメトーーク!』(テレビ朝日系)などは遅い時間帯でも高い視聴率を獲得している。夜といえば、ニュースだが、若者は1行だけで済むYahoo!ニュースくらいしか興味がなく、掘り下げたニュースは観たくない。ましてや、仕事を終えて疲れて帰ってきて真面目なニュースを見せられたら益々疲れてしまう。“おバカな番組”をやっていた方がテレビのスイッチをつけたがるだろう。最近、ネットがあるから仕方ないなんて言い訳しているテレビの製作者が多いが、そんな意識じゃ、結局、ネットに負けてしまう。簡単には解決しない問題がいろいろあることは分かるが、「何か、テレビ、面白いよね」って若者に語らせるような改革が必要だとマツコはいう。

 マツコは、ズバズバと何でも感じたことを口にする姿で世の人を惹き付けてきた。その言葉に重みを感じるのは、言葉の裏に、過去に自分自身について悩んだ経験があるからだろうか。「自分自身じゃない部分で勝負しよう」と演じていたことの反省があるためだろうか。マツコの力があれば、何かが変わるような、何かやってのけてくれるような気にさせられる。

文=アサトーミナミ