日本代表の「勝ち負け」、そんなに大事ですか?

スポーツ

2014/7/16

 W杯も閉幕しましたが、サッカーにあまり興味のない人間(すいません、僕です)から見ると、どうも違和感を覚えるのが、毎度のテレビ番組でのあの煽りかた。「絶対に負けられない戦い」的な、極端に勝ち負け(というよりほぼ「勝ち」だけに見えるが)にフォーカスした番組のスタンス。日本代表が勝てばもちろんそれは嬉しいんですが、視聴者に分かりやすくするためとは言え、あんまり勝利至上主義に偏りすぎなんじゃないかと。

 そんなメディアや、それを見たファンやサッカー関係者までもが勝利至上主義に毒されている! と危惧するのが、本書『「負け」に向き合う勇気 日本のサッカーに足りない視点と戦略(星海社新書)』(杉山茂樹/講談社)。「実はサッカーは「負け方を競うスポーツ」であり、その真のエンタメ性は、敗戦の中に見出すことができるのだ。」というのが本書の主張だ。

 かたや「絶対に負けられない戦い」の勝利至上主義の論で言えば、「負け」は受け入れがたく悲しむべきことになってしまう。だから、勝っている間は騒いで、負けたらハイ終わり、となり、反省も検証もほとんどなされず、敗戦は「なかったこと」にされてしまう。

 だが、本当に「敗戦は辛くて苦しいものなのか?」というのが著者の問いだ。つまり、今のメディアの盛り上げ方だと、「負け」ることが半ばタブーになってしまっていないだろうか? ということ。日本代表を発展途上のチームと考えれば、むしろ「負け」にこそ次へのヒントが隠されているはずだ。

 そして、絶えず次の戦略を練り、進歩の源とすることは、決して辛いだけの作業ではないはずだ。むしろそれこそが、サッカーのサッカーたる面白さにつながる部分なのではないか。きちんと振り返れば振り返るほど、次の成功が期待できる。大事なのは「負け」自体ではなく、「なぜ負けたのか」だ。

 あわせて勝利至上主義を助長しているものとして、「全力応援」的な、必要以上に選手への感情移入を煽る雰囲気がある。試合に勝てば、内容に関わらず喜ぼうとし、負ければ悲しみに暮れて、一喜一憂する。0か100かの極端な選択肢で、「勝ち負け」意外の考えが停止した状態になってしまってはいないか。日本の社会においては、選手と同じ気持ちになって、喜びや悲しみに暮れる人の方が正しいような雰囲気があって、流されてしまいがちだ。

 著者が、これらのカウンターとして紹介するのは、ヨーロッパのクラブサッカーやワールドカップの強豪国でのサッカーの捉えられ方だ。例えば、ヨーロッパのクラブチームでは、勝利至上主義ではなく健全経営こそがまず優先されているという例や、ヨーロッパのメディアには、試合そのものの出来を評価する採点の仕組みがあることとか。なるほどサッカーを取り巻く文化は日本とはまったく違うわけで、数多くの海外取材の経験を持つ著者が、日本のサッカー文化に歯がゆさを感じているのが伝わってくる。

……ただ、さすがにサッカーにそれほど興味のない人間(すいません、僕です)には、やっぱり敷居の高い話だなー、というのも正直なところ。そうは言っても、「勝ち負け」や「応援」はサッカーの楽しみ方の王道だと思うし、いわゆる「お祭り」的に騒ぐのだって楽しみかたは自由だ。それらが今のサッカー人気を支えてもいる。ただ、今後日本のサッカーがさらに成長・発展を続けていくとしたら、それを取り巻くメディアやファンの姿勢にも、相応の成熟が求められるのかもしれない。

文=村田チェーンソー