ももクロのマネージャー・川上アキラさんが綴った“現場”からのヒストリー

芸能

2014/7/24

 日本のアイドル史に深く名前を刻むことになった「ももいろクローバーZ」。結成から7年目を迎えた今年も、国立競技場ライブを成功させたほか、日本最大規模の日産スタジアムでの2年連続公演を控えるなど、勢いは止まりそうにない。

 さて、これまでも「全力」という言葉とその裏にある汗と努力によるストーリーが各方面で語られてきたももクロだが、このたび、ももクロの成功を影で支え続けてきたマネージャー・川上アキラさんの『ももクロ流 5人へ伝えたこと 5人から教わったこと』(日経BP社)が刊行されたので手に取ってみた。外から見たももクロの歴史や伝説を語る本はこれまでもあったものの、内側から描いたものはあまりみられなかった。川上さんとももクロが歩んできた歴史で何があったのか、エピソードをいくつか抜粋する形で紹介していきたい。

 

■川上さん、そしてももクロの精神に流れる「ANGEL EYES」という源流
 ももクロのファン、すなわちモノノフならばこの名前を聞けば思わずハッとするだろう。現在のファンクラブで公式名称として使われているが、じつは、ももクロのマネージャーとして活躍する川上さんの源流でもある。

 1998年、ももクロの所属事務所である「スターダストプロモーション」に入社まもない川上さんは、俳優のマネージャーを務めるかたわら、レッスン生のダンスや歌の成果発表イベントに関わっていた。そのイベント名は「ANGEL EYES」だった。ももクロの妹分として紹介されるユニット「私立恵比寿中学」の理事長でもある藤下リョウジさんのもとで川上さんは、仕事への姿勢を学んでいった。川上さんは、「タレントの育成が好きだ」という藤下さんのもとで試行錯誤を重ねた当時を振り返りながら、みずからも「タレントを一から育てるのが好きだ」と語る。

 同イベントは2000年で終了したものの、その後、2007年10月にふたたび「アイドルの発表会を開く」という構想が同事務所で発案された。この発表会がももクロの起源なのだが、やがてファンクラブの名称に「ANGEL EYES」が継がれたというのも、モノノフにとっては感慨深いものだろう。
 

■ライブという名の“現場”への姿勢を培った路上ライブと弾丸ツアー
 路上ライブやワゴン車1台での全国ツアーなど、多くのモノノフに語り継がれているエピソードだ。しかし、その裏にあった苦労が細かく描かれたことはかつてなかったかもしれない。

 公式とされるももクロ結成の日、そして、初ステージで『あの空へ向かって』を披露した2008年5月17日の発表会を過ぎて、ももクロは代々木公園でのライブをスタートさせた。川上さん自身、当時はメンバーに「100のレッスンより1の現場」と伝えていたそうだが、この頃のももクロは、ビラ配りとレッスン、翌週にライブという流れを繰り返していたという。イベントがすべて手作りだったという中で、スピーカーで音を流すために「自動車用のバッテリーを改造した」とも語る川上さんだが、ももクロがライブと言う名の“現場”を重視する姿勢は、この当時から培われたもののようだ。

 そして、翌年の2009年5月からは、全国のヤマダ電機を回る全国ツアー「ももいろクローバーJAPANツアー2009 ももいろTyphooooon!」をスタートさせた。インディーズデビュー曲『ももいろパンチ』をたずさえたものだったが、当時のメンバーである百田夏菜子・玉井詩織・佐々木彩夏・高城れに・早見あかりを乗せて、機材車含めて計2台のワゴンで全国を回るという弾丸ツアーだった。当時の様子を振り返る川上さんだが、金曜日の夕方に学校を終えたメンバーを乗せて東京を出発、午前3時に到着した後、仮眠などを取り10時には現地入りして、1日あたり3回ほどの公演と握手会をこなしていたという。

 

■他ジャンルを融合させるというコンセプトが生まれた日本青年館
 ももクロの分岐点とされるライブはいくつも挙げられるが、 その中でも、2010年12月24日に行われた『ももいろクリスマス in 日本青年館~脱皮:DAPPI!』についてふれたい。それは、初めて1000人超の観客を相手にしたというのはもちろんだが、ももクロが従来のアイドル像を打ち破ったとされる“演出”の分岐点となっていたからだ。

 このライブから変化したのは、演出に佐々木敦規さんが加わったことだった。『とんねるずのみなさんのおかげでした』などを手がけるTVディレクターだが、川上さんが惚れ込んだのはアイドルの演出にあった。バラエティ番組ではアイドルの失敗をネタにして笑いを取るという流れが一般的な中、佐々木さんからは「アイドル本人が発信しようとしたものを理解した上で演出している人」という印象を受けたという。そして、初めての経験にも関わらず「ライブの演出にも興味があった」という佐々木さんの協力を得るようになり、プロレスなどの他ジャンルを融合させるという現在に続くももクロのコンセプトができあがっていった。

 メジャーデビュー前から「ムチャなことをお客さんと一緒にやって達成感を楽しむという挑戦」をしてきたと川上さんは語る。しかし、日本青年館でのライブ前後からは「チャレンジしながら次のステージにメンバーとお客さんが一緒にたどり着く」というストーリーを描いていたという。その背景には、自分たちの限界を感じる中、様々な専門家たちの協力を仰ぐ中で生まれた「もっとちゃんと歌って踊れるようにならなくてはいけない」という思いが関係していたようだ。

 さて、川上さんの書籍を参考にいくつかのエピソードを抜粋してきたが、同書にはまだ語り尽くせない程のエピソードが、川上さん自身の記憶、そして、メンバーひとり一人の対談により綴られている。現場からの視点でまとめた1冊を通して、新たなファンを獲得し続けるももクロの魅力がさらにより深く理解してもらえるようになればと願う。

文=カネコシュウヘイ