夢を叶える道具!? 3Dプリンターを体験

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/21

3Dプリンターの工程や実態を本当に理解している人はどれくらいいるのだろうか? 「証明写真を撮る機械のように、撮影後3分したらポロンと完成品が出来上がるような機械を想像していた」というライター・北尾トロが、3Dプリンターを実際に体験してみることに。『ダ・ヴィンチ』8月号では、杉並区の阿佐ケ谷アニメストリートにある3Dスキャンを体験できる店「未来玩具デジモ 阿佐ケ谷駐屯地」へ突撃。みずからの肉体を使って体験している。

ここの3Dスキャンは、4台のカメラで全身をカバーした上で台を360度回し、120枚ほど撮影するシステム。あらゆる方向から対象物を捉え、データを合成して立体化するという。

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「では始めます。1分ほどかかるので、その間、動かないように注意してください」

注意点はそこだけ。じっとしているうちに撮影は終了した。PCを覗くと、早くも私のカラダが立体化している。ジーンズのしわや、やや猫背気味の背中の丸みまで忠実に再現されている。データ的には問題なし。あとはプリンターの能力次第だ。174センチの私を10 センチでどこまで再現できるのか。

「想像以上の作品が完成しました」

編集Kから連絡を受け、フィギュアを見に行った私は思わず唸った。完璧なまでに俺フィギュアなのだ。似てるというレベルではなく、ミニサイズの自分。帽子やジーンズのしわも寸分違わず表現されている。これで撮影費込み2万5000円程度なら安い。

「では、私が仕上げてあげましょう」

なぜか常につまようじを持ち歩いている日高トモキチ画伯が、チョチョイと銃らしきものを造って両手の間に差し込むと、おお、まごうことなき新米猟師である。感動するなあ。家族や友人にも見せびらかそう。

そこで思った。技術音痴で3Dにもフィギュアにもさして関心がないのに、私はどうしてミニサイズの自分に感動するのだろう。よくできてるとは思うが、そのためのシステムなのだから、当然と言えば当然なのだ。俺フィギュアが動いたりしゃべったりするわけじゃない。

私の感動は、個人が造りたい物をいくつでも造れるところにある気がする(同じデータを使えば俺フィギュアはいくつでも制作可能)。専門の業者にしかできなかったはずのことが、表現したい人のものになる……。

この感覚は初めてではない。いま使っている紙のプリンターがそうだ。PC内にある原稿が、いくらでも印刷できるところに、便利さを超えた魅力を感じる。その前はコピー機だった。だんだん普及してきて、コンビニで普通に使えるようになったときは感慨深かったもんなあ。印刷屋に頼まなくても、簡単な印刷物ならコピーを使って作れるのだと。いまでは誰もが使うものだけれど、印刷手段を我がものにできるというのは衝撃的だったのだ。

「生まれたときから当然のこととしてコピー機があったボクは、今回、3Dプリンターで初めてその感覚を味わったかもしれません」

20代の編集Kならそうだろう。が、オッサンの私はもっと心が震える体験をしているぞ。

「コピー機の前ですか。えーと、何かありましたっけ?」

ガリ版だ。正式名称は謄写版。私より上の世代がよく使っていた簡易印刷機だ。あれは作業が面倒なだけに、うまく印刷できたときは喜びもひとしおだった。

「知りません。初めて聞きました」

マジか。よし、わかった。今度は私が、編集Kを超アナログ印刷の世界へ案内しよう。

同誌では、3Dプリンターから一転、個人用プリンターの原点・ガリ版を試す流れに。日本独自の印刷技術を再評価しつつ、歴史と技術をふりかえっている。

取材・文=北尾トロ/ダ・ヴィンチ8月号「走れ!トロイカ学習帖」