17歳の少年による“体験殺人”ルポルタージュから、佐世保同級生殺人を読み解く【後編】

社会

更新日:2014/8/20

 14年前に老女殺人事件を起こした17歳の少年の“供述”をもとに取材を行い、『人を殺してみたかった 愛知県豊川市主婦殺人事件』(双葉社)を上梓したノンフィクション作家の藤井誠二さんが、先月長崎県佐世保市で起きた高1女子による同級生殺人事件を考察するインタビューの後編。(【前編】はこちらから)。

■報道が抑制される少年犯罪は、事件の真相に迫ることが難しい

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 本書の中で、藤井さんは、少年犯罪の真相に迫ることが難しいジレンマにも触れている。少年の内面で何が起きていたのか、いくら心の闇を探ろうとしても、加害少年は少年法のもとで守られ、各報道機関も断片情報のみしか得られないためだ。

「この事件の場合は、たまたま僕が取材を通して彼の供述を知り得たので本に書くことができましたが、少年法では犯行時に16歳以下だったら、刑事処分にならずに、家庭裁判所で審判します。そうなると少年法の精神を遵守して、事件に関する情報統制がなされるという保護主義がつらぬかれる。仮に、刑事処分が相当とされて検察官のもとへ逆送致されて刑事公判が行われても、公判はついたて越しになってしまうし、通常の事件に比べて得られる情報には限度があります。

 個人的には、できるだけ裁判は公開したほうがいいと思っています。事実関係は秘匿するべきではなく、加害者の少女のパーソナリティの一断面、一側面だけでも法廷に現れるわけですから、それは多くの人が現実として受け止めたほうがいいと思います。ただ、それがまったくできないとなると、家裁で審判を何度も繰り返して、1997年の神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔聖斗と同じように、医療少年院送致になる可能性が高くなります。豊川事件の加害少年も医療少年院送致になりましたが、今どうしているのかはわかりません」

 テレビや新聞、ネット越しに事件の展開を追う者にとっては、その全容は永遠に明かされず、そして知らぬ間に決着がつき、真相は闇の中にとざされてしまうことになる。

■緊急性の高い子どもたちに対して脆弱すぎる日本のシステム

 藤井さんによれば、2000年の豊川の事件以降に、家庭裁判所調査官研修所が少年事件の単独犯・集団犯のケーススタディを集めた『重大少年事件の実証的研究』という冊子をまとめている(ただしこの冊子には豊川事件はふくまれていない)。このような国主導によるデータ収集と専門家の考察は重要だが、そこから何を導きだし、今後同じような事例が起きた場合にどうするかなど、具体的な対策を策定するまでには、研究結果がフィードバックされていないのではないかという。

「佐世保市では、10年前に同じく佐世保で起こった小6女子による同級生殺害事件を教訓に、ずっと“命の教育”を行ってきました。それはそれでとても大切なことです。しかし、10万人の子どもに広く浅く行うよりも、ひとりかふたりの特異なパーソナリティをもちあわせる子どもの個別性に対する、手厚く徹底的な対応の必要性を導き出さなくちゃいけない。緊急性の高い子どもたちを優先的かつ重点的にケアするシステムが、とても脆弱なんです。

 今回だって児童相談所に相談したけれど、未然に防ぐことはできなかった。しかし、児童相談所とて万能ではありません。児童相談所は虐待問題等の他の事案で手一杯で、ケースワーカーの数が足りないし、そもそも日本は児童相談所の数が少なすぎる。県民ひとりあたりで割ると、もう何万人にひとりくらいの数しかないですし、精神科医は大勢いても、子どもの問題のプロフェッショナルは非常に少ない。緊急の対応マニュアルをもっている学校や地域も、まだまだ少ないと思います。

 その理由はやはり、日本社会の危機感が薄いことにあると思います。アメリカだったら、猫殺しや動物虐待の情報があった時点で、身柄を拘束するケースも含めて要注意人物とされます。1999年のコロンバイン高校銃乱射事件のあたりから、異常気質をもつ少年や人物に対する警戒はものすごく高まっています。徴候があったらケースワーカーを派遣して、徹底的に対応する。多少おおげさであったとしても、未然に防ぐためには重要なことです。

 しかし、日本ではそうした予防策にどうも腰が引けてしまうところがある。もちろん、厳格に要件を満たさないと動いてはいけない、ということもあるとは思いますが、犯罪の予兆に対して、重大な危機感をもってあたるという意識については、日本は遅れてると言わざるを得ないでしょう」

■人の生きづらさに気づき、受け止めて寄り添う心のゆとりを

「難しいテーマですが、自分とは違う人間、善悪の判断がつきにくい子どももたくさんいるんだということを、あらためて認識してほしいですね。今はネットのように、自己顕示を表出しやすいツールがたくさんあって、そのツールが変わったパーソナリティや殺意を引き出すようなところもあると思うんです。LINEでケンカしたから人を殺そうとか、通常とは違う発想をする子どもだっているんだということを、知ってほしい。

 そして、周囲の人間がもし異変に気づいたら、めんどくさいと見てみぬふりをするのではなく、手をさしのべるとまではいかないまでも、大人がそれを共有して、気にかけてあげてほしい。ひとりで抱え込まないでほしいのです。緊急の対応が必要ならば、体面を気にして見て見ぬふりをするのではなく、あらゆる手だてを探ってほしいのです。こんなご時世だからこそ、人的資源やネットワークをつくっておくことや、豊かな人間関係を築いていくことが大切ですし、そのことで、心にゆとりがでてくるはずです」

 14年前、センセーショナルに報じられた豊川の事件を克明に追いかけ、報道されなかった加害少年の内面に迫ろうと試みた、『人を殺してみたかった 愛知県豊川市主婦殺人事件』(藤井誠二/双葉社)は、今回の佐世保の事件を機に、にわかに注目を集めている。現代の少年犯罪や精神医学、少年法が抱えている課題、それにまつわる答えの出ないさまざまな問いに向き合うきっかけとして、ぜひ目を通してみてほしい。

取材・文=タニハタマユミ