「高校野球は地方予選にこそ本当の青春がある!」 スポーツの新しい見方を綴った爆笑エッセイ

スポーツ

更新日:2016/3/14

 夏の甲子園が始まると、「甲子園で夏の全国高校野球大会が始まってしまった」と思う。「しまった」と表現したのは、私が応援する阪神タイガースがホーム球場である甲子園を使えないからではなく(それもあるけれど)、地方大会が終わってしまうからだ。

 夏真っ盛りのころ、甲子園での本大会でも日々熱戦が繰り広げられているが、さすがは全国大会。どの高校もレベルが高く、大逆転劇や目を覆いたくなるような一方的な試合などまずない。ところが地方予選では、そうした試合がままある。

advertisement

 記憶に新しいのは石川大会の決勝戦だろう。元ヤンキースの松井秀喜氏の母校である星稜高校が大逆転劇の末、小松大谷高校を下した。0-8で迎えた9回裏に9得点を挙げてサヨナラ勝ちを収めたのだ。この試合は「奇跡の大逆転劇」と呼ばれ、松井氏の母校であったこともあってアメリカでも報じられた。

 しかしながら、そのさらに下の地区予選ではもっと凄まじい「大逆転劇」が“よく”あるうえ、リアルな現実を見せつけられるようで辛くなるような大差の試合も少なくない。

 「シーソーゲームを超えたジェットコースターゲーム」。そう呼んでスコアだけで妄想を展開するのは、かの奥田英朗氏が小説家になる前に雑誌『モノ・マガジン』(ワールドフォトプレス)で連載していたエッセイ『スポーツ万華鏡』の1話。端的に言うと、25対26(!)というスコアで決まったある地方予選のサヨナラゲームのことで、同氏は新聞に掲載されたデータだけで試合を想像して語る。

「スコアを見ただけで目が回る。両軍あわせて40安打、本塁打はなしで、二塁打が7本に三塁打が5本、エラーが9つ、暴投が5つ。ベースボールの面白さと恐ろしさ(やっている方がともかく)観ている者にはたまらないゲームである」

 ほかにも、とんでもない劇的なゲームを臨場感たっぷりに妄想していて、もうドラマがドラマを呼んだ、奇跡の物語のようだ。奥田氏の軽妙な語り口でスポーツへの愛情と悲哀がふんだんに盛り込まれ、地区予選の方が面白いに違いないと納得させられる。

 以前、仕事で地区予選に通ったことがあるのだが、その時もあまりに劇的な試合が多すぎて、スコアをつけるのに大変だったことを覚えている。予選レベルでは、エラーがエラーを呼び、その間にランナーが走りまくり、ヒットが1本もないまま得点が連続して入るということも珍しくない。誰がどこで何をしでかしたのか、その間に誰がどこまで走り、得点したのか、観ているこちらが目を覆いたくなるような大逆転劇を何度も目の当たりにした。

 そんな時に試合後、球場のトイレに行くと、女の子たちが抱き合って泣いていたりする。「仕方ないよ。うち弱いもん。でも一生懸命がんばったよね」。うんうんと頷いてはまた泣き出す女の子たち。そのうち、小刻みに震わせていた肩が収まるや否や、女の子のひとりが赤く腫れた目を輝かせて言った。「もう夏休みだし、しばらく○○クンに会えなくなるんだから、○子、このまま告白しちゃえ! 当たって砕けたって夏がある!」。

 女子の切り替えは早い。と同時に青春していていいなぁと目を細めたものだ。

 同書はスポーツをテーマに、奥田氏ならではのユニークな視点が綴られている爆笑本。ほかにも、ちょっとヘンなスポーツのユニフォームを指摘した「レスリングのタイツはなぜ乳首をだすのか」とか、日本語だと言いにくくて困ってしまう外国人選手の名前をいじった「スポーツの国際化と名前の困惑」など、笑いが噴き出してしまうようなツッコミ話も多く、電車内で読むのはキケンかもしれない。その一方で、「アメリカ男の災難と家族信仰」のように、アメリカではスポーツ選手も家族を大切するという美談の裏で、弁護士と精神科医が支えている、と鋭く真理をついた話もある。

 どんなスポーツも、人間がやるからドラマに満ちていて、面白く、奥深い。ちょっと視点を変えるだけで、身近に青春を感じられたり、新たな発見が得られたりする。甲子園の全国大会もいいけれど、今年は地区予選にも注目してみてはいかが?

文=松山ようこ(スポカルラボ)