とにかくひたすら自殺を試みるうさぎに、あなたは何を感じるか?

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/21

イギリスのコメディ集団「モンティ・パイソン」が、7月にロンドンのO2アリーナで再結成公演を行った。約30年ぶりということなので若い人はその存在を知らないと思うが、1969年からBBCで放送されたコメディー番組『空飛ぶモンティ・パイソン』(日本では山田康雄や納谷悟朗、広川太一郎らの吹替えで放送された)は、イギリス王室や共産主義、宗教などネタになるものは何でも取り上げ、不条理でブラックな笑いを追求した。その革新性から“コメディ界のビートルズ”と言われていたのだ。

その復活を記念して、ロンドンには50フィート(15.24メートル)もある「死んだオウム」の像が登場した。これは最初から死んでいたオウムを売ったペットショップに返品しに来た客と店員が、あーでもないこーでもないとやり取りをする「死んだオウム」というネタがモンティ・パイソンにあったことからの洒落なのだが、こういうことを日本でやったら「死んだオウムの像なんて不謹慎! ダメ!」みたいなことを言われてしまうと思う。しかしどんな危機的状況にあっても、その場に応じたジョークとお洒落を忘れない「007」シリーズのジェームズ・ボンドや、皮肉な笑いに満ちた映画を作った喜劇王チャップリンなど、イギリスはユーモアを好む国であることが、こうしたブラックユーモアを許容しているのではないだろうか。

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さて、ここまでユーモアについてつらつらと書いてきたのは、イギリスの絵本『自殺うさぎの本』『またまた自殺うさぎの本』『たぶん最期の自殺うさぎの本』(アンディ・ライリー/青山出版社)という3冊の本を紹介したいからだ。イギリスでは大人気となってシリーズ化され、「こんなにファニーでバニーな本はない」とあのエルトン・ジョンがオススメし、日本ではきゃりーぱみゅぱみゅがお気に入りとしてテレビ番組で紹介していた絵本で、ほとんどセリフや文字、状況の説明もなく、かなりシュールなシチュエーションで、とにかく思いつく限りの方法でただひたすら全力で自殺を試みるうさぎがずっと出てくるだけという、ブラックユーモアに溢れた内容なのだ。

シリーズ最初の本『自殺うさぎの本』で最初に自殺するうさぎは街中にいる。背後には時計台、高さは数メートルといったところだろうか。その長針にはロープが結ばれており、その反対側はうさぎの首にしっかりと巻きつけられている。時計は12時43分あたりを指しており、このまま時刻が進めばロープが引っ張りあげられて……という状態だ。他には『聖書』に登場するノアの方舟には乗らずに水辺でのんびり日光浴をしていたり、打ち上げられる宇宙船の5つある噴射口の下に5匹で待機して集団自殺を狙ったり、太ったおじさんが座ろうとしてるイスの足の下に入り込んだり、サンアンドレアス断層のあっちとこっちに杭を打ってロープを縛って首に巻き、断層がずれることを利用したり(なんて気長!)、『ターミネーター』『エイリアン』『スター・ウォーズ』など数々の映画に関連した自殺を試みるなど、ありとあらゆる場所や空間で死のうとするのだ。そして手法もパッと見てわかるもの、わざわざ手の込んだ複雑な機構を使うもの、一瞬なんだかわからないが、じっと見て考えるとわかるものなど様々ある。

この本を見て「自殺はいけないと思います!」というのは正しい反応だと思う。自殺はいけない、と筆者も思っている。しかしなんとかして死のうとする絵本のうさぎを「バカだなー」と笑えれば、それは心に余裕があり、他者を許す寛容の精神があることになるんじゃないだろうか、とも思う。不条理に満ちた世界を笑い飛ばして、それでも生きていくのが人生なのだから。ということで、バカだなーと思えたあなたは大丈夫。「こんな本、いけないと思います! ムキー!」と思ってしまったら、それは毎日に疲れてる証拠なんじゃないかな、と。根拠はないけど…たぶんそうです。

文=成田全(ナリタタモツ)