「分からないからこそ、分かりたい」世界のすべてを描くマンガ家・今日マチ子

マンガ

公開日:2014/8/29

 多様、実験、普遍、叙情、残虐……。今日マチ子というマンガ家に似合う言葉はたくさんある。もしひとつだけ選ぶとするなら、「全部」かもしれない。彼女はこの世界の、「全部」を描く。その多彩さと功績を評価され、今年、第18回手塚治虫文化賞「新生賞」に輝いた今日マチ子。『ダ・ヴィンチ』9月号では彼女の特集を組むとともにインタビューを掲載している。

 ――今日マチ子が2004年7月28日付の個人ブログで、1ページマンガ「センネン画報」を公開し始めてから、ちょうど10年経った。

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「実は10年前から、机の上に手塚賞の新聞の切り抜きを貼っていたんですよ。この賞は、大御所だとか若手だとかキャリアを問わず、いいものはいいとちゃんと評価をしてくれる。自分の知らないマンガ作品と出会うきっかけになる、信頼できる賞だったので、毎年発表を楽しみにしていました。私もこの賞をいただけるように頑張ろうと、ずっと目標にしていたんです」

 つくづく思う。今日マチ子の才能を評価するには、手塚の名が付くこの賞がふさわしかった。シリアスなものからポップなコメディまで描き分ける「多様さ」と「多作さ」。そして、死を含めた人間存在の「リアル」を「全部」、紙の上で表現しようとする挑戦心の熱量。

「私、ホラー映画が全然ダメなんです。テレビで手術のシーンが出てくると、チャンネルを変えちゃいます。でも、自分で描くぶんにはホラーもグロも大丈夫なんですよ。マンガの中でなら、少女が血を流す姿を描けるし、読める。それが、実際のリアルな映像とマンガの差なのかなと思っています。死って身近なことなんだから、描かないとウソになってしまうと思うんですよ。人間の綺麗な部分だけじゃなくて、汚なさとかズルさとかワガママさとか、痛々しいところや弱いところ、全部を描かないとウソになってしまうとも思う。私はできるかぎり、あらゆる感情をひとつの作品の中に全部詰め込みたいんです。たぶんマンガのリアルさって、絵がリアルとか描写がリアルってことじゃなく、“人間とは何ぞや?”という問いに関するリアルさなんじゃないかなって思うんですよ」

 今抱えているストーリーマンガ連載は、本誌5月号より始まった『吉野北高校図書委員会』のみだ(山本渚の同名小説のコミカライズ)。本人の意向で、活動をセーブしている。

「他のマンガ家さんに比べると、小さな連載はいっぱい持ってたんですが、太い連載がない。だから、“『センネン画報』の今日マチ子”というイメージでずっと来ていると思うんです。あまりに作品が多すぎたから、自分でも“今はこれを頑張りたい”というものが見つけづらくなってしまい、結果的に“全部頑張る!”になって体を壊すことも分かりました(笑)。いったん仕事の仕方を見直そうと思ったんです。これが、最後のリリースラッシュです」

 今年の下半期は、新作の構想に当てたいと言う。

「まずは『cocoon』や『アノネ、』につながる、戦争を題材にした太いラインを一本走らせたいと思っています。そのシリアス路線があったうえで、自分でも描いていて楽しいしみんなも楽しくなるような作品を1、2本というのがベストかなと」

「そんな予定はたぶん、すぐ壊れると思うんですけどね」と苦笑い。それはもう、絶対そうだ。なぜなら今日マチ子というマンガ家は、この世界の「全部」を描きたくてたまらない人なのだから。

「自分には分からないなと思うことって、沢山ある。例えばアイドルに熱狂する人の気持ちとか、ヤンキーの人の気持ちとか、ボーイズラブを楽しむ気持ちも私はよく分からない。それを、知らないとか興味ないと言って切り捨ててしまったら、世界が狭くなってしまいますよね。分からないからこそ、分かりたいんです。分かりたいからこそ、マンガの題材にして、描きながら考えたいんですよ」

構成・文=吉田大助/ダ・ヴィンチ9月号「コミック ダ・ヴィンチ」