「6年半のOL生活が、今も自分を支えている」辻村深月インタビュー

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/21

2004年にメフィスト賞を受賞しデビューして以来、一作一作、深く広く作品を紡ぎ続け、直木賞を受賞するなど人気を博している辻村深月。デビュー10周年の本年は、新刊を3冊刊行。そして10月には『太陽の坐る場所』の映画も公開! そんな辻村深月を、『ダ・ヴィンチ』10月号では徹底特集。ロングインタビューを掲載している。ここではその一部を抜粋して紹介しよう。

時計の針を動かしてくれたのは、ミス研の外で出会った友人だった。大学4年のとき、たまたま部屋に遊びに来た友人が、高校時代に書いた小説の束を見つけ「読ませて」と言ってきたのだ。それが、3分の2までで止まっていた『冷たい校舎の時は止まる』。

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「すっごく面白かったと言ってくれたんです。“続きが読みたいんだけど、続きはないの?”と聞かれて、“頭の中にしかないんだよね”と言ったら、“それ絶対書いたほうがいいよ!”と。その言葉がきっかけでした。手書きだった原稿を推敲しながらパソコンで打ち直していって、最後までつじつまが合う形に2カ月ぐらいかけて完成させて。高校のときに読んでくれていた友達にも、できあがったものを郵送したんですよ。そうしたら、“脱稿おめでとう”という連絡がきました(笑)。“ようやく完結したね”と言われて、あっ、みんなも待っててくれたんだなって」

ここでもやはり、読者からの期待と祝福が、辻村さんの背中を押したのだ。その喜びを糧にして、教師になる夢を追うのはあきらめ、小説家を目指そうと覚悟を決めた。

「そのために一番現実的な手段だと思ったのは、実家に戻って日中は働きながら、夜と土日を使って小説を書くことでした。やっと山梨から出られたのに、逆戻りしてしまうことに抵抗もあったんです。でも……。私にとって、教室と故郷は似ているんですよね。“大嫌いだけど大好き”という、気持ちが入り混じっているところが。不思議なんですけど、“いずれ戻らなきゃいけない”って、心のどこかでずっと思っていた気がする」

就職先は、事務職だった。働きながら習作を何編か書き上げたところで、大学4年のときに完成させた原稿を、憧れの講談社ノベルスの編集部が主催する「メフィスト賞」に送ろうと決意する。半年かけて手直しした後に応募したところ、見事一発受賞。2004年6月刊の『冷たい校舎の時は止まる』(上)で、夢だった作家デビューを果たす。それがOL生活を始め2年が経った頃。その後は、兼業作家の道を選んだ。

「6年半のOL生活が、今も自分を支えてくれていると思います。東京でどんなにちやほやされても、職場に戻れば一番下っ端(笑)。同世代の人たちとまったく同じ感覚で、社会に出て働くという経験ができたことは、小説を書くうえで大きな武器になっていると思うんです。私って、本当に普通なんですよ。普通の田舎に生まれて、普通の家庭に育って、普通に大学に行って就職して。デビューした頃は普通であることがイヤで、コンプレックスだったんです。でも、自分が普通だからこそ、普通の人の気持ちがきっとわかるし、特別さに憧れる気持ちがわかる。普通なことはコンプレックスじゃなくて、強みなのかもしれないって思うんです」

学校空間では、自分と似たようなタイプの友人たちと一緒に過ごすことができる。だが、職場では否応無しにさまざまなタイプの大人たちと出会い、交流することになる。その経験も大きかった。

「それまでの私は、自分の好きなサブカルに敬意を払ってくれなかった大人たちを、ずっと恨みながら生きてきたんですね。“私がバカにされてるんだから、向こうのこともバカにしていいんだ!”と思っていた。でも、そういう人たちはサブカルを必要としてこなかったぶん、物語によって自分を守ったり癒やしてきた私よりも、真正面から現実とぶつかって傷ついてきたとも言える。それを知ることができて、物語だとか私の好きな世界を理解しない人に対しても、尊敬の気持ちを持てるようになったんです。その経験がなかったら、私の書く作品の世界はもっと小さなものになっていたと思う。OL生活を経験していなかったら、この10年の作品はまるで違ったものになっていたと思います」

『ダ・ヴィンチ』10月号「辻村深月特集」 取材・文=吉田大助 より