【『進撃の巨人』諫山創インタビュー】「マンガ家になるのはムリだと思っていた」「『進撃~』はプロットには自信があった」

アニメ・マンガ

2014/9/20

 初の連載作品『進撃の巨人』で累計4000万部突破の快挙をなしとげた諫山創。今やアニメに実写映画、企業とのコラボレーションなどまさにその“進撃”はとどまることを知らない。『ダ・ヴィンチ』10月号の「進撃の巨人」特集では、諫山創のデビュー前夜にとことん迫ったインタビューを掲載している。

――専門学校に入学して最初に所属したのはデザイン学科で、その後すぐにマンガ学科に転籍したそうですが、マンガ家になろうと決めていた?

「絶対にムリだと思ってましたね。専門学校に行くことで、自分よりぜんぜんマンガが描ける人がいることを知って、やっぱり選ばれし者の世界なんだって気づかされた感じでした。姉ちゃんが買ってたファッション誌に安野モヨコ先生が『ジェリービーンズ』を連載してたんです。主人公はファッションデザイナーを目指してるんですけど、途中で、なれるわけがないと言い出す。そのときの描写が膨大な数の石垣があって、その中の一個にすぎない自分が上に行けるわけがないっていう。すごい説得力で納得してしまいましたね」

――とはいえ、マンガは描き続けていたわけですよね。

「描かずに悔いを残すよりはいいと思ってたんです。それが実るとはとても思えなくて、宝くじを買うような感覚でしたね。ほかの人はちゃんと勉強して大学に行って頑張ってるのに、俺は何をしてんだ?って焦ってばかりでした」

――10代後半というと、将来のことで頭を悩ます時期ですが。

「親に食わせてもらっていることが、不能感というか……すごいコンプレックスでしたね。親の支えなしで生活していける能力が自分にあるのか不安でした。たぶんそれは原始時代からある大人になれるかなれないかの通過儀礼のような悩みだったと思います」

――とはいえ、今や念願どおりマンガ家になっています。

「マンガ家を目指した判断自体は正しくなかったと思います。もし身内にマンガ家になりたいという人がいたら、ちょっと待て、と思いとどまらせるかもしれない。安野モヨコ先生が描いた石垣のイメージよりもっと過酷というか、確率のギャンブルみたいなところがあるので、親なら止めろよって」

――両親はマンガ家になりたいという気持ちを知っていた?

「マンガ学科に転籍した時点でわかってはいたんでしょうけど、あえて何も言わないでくれましたね。賞をとるまで何も言わずにおいて、受賞してからマンガ家を目指していることを伝えました」

――マンガ家になれる自信がなかった一方で、心のどこかにかすかな自信があったのでは?

「アイデア一つだったと思います。19歳の頃、寮の狭い部屋でネットをやりながら落書きをしていたときに『進撃の巨人』のプロットを思いついたんです。人食い巨人によって絶滅寸前の人類という世界観が面白いんじゃないかって。そのプロットに関しては自信があったと思います。でも、一番難しいのは、自分が客観視できているかどうか。そうは思いながらも、面白いはずだという気持ちがあって、無理かもしれないけど試そう、という感じでしたね」

 マンガ学科では授業の一環として、生徒が東京の出版社に持ち込み旅行をするという企画があった。このとき諫山は3つの編集部に作品を持ち込む。その中の一人が、現在の担当編集者である週刊少年マガジン編集部の川窪慎太郎さんだ。生まれて初めて19歳の諫山の元に出版社から電話が入った。

「今でこそ『進撃の巨人』は大きくなってますけど、それまで評価がゼロでしたから、躍進度合ではそのときが一番とんでもなかったですよね。これでマンガ家を目指してもいいぞ、と初めて自分でも思えるようになったんです」

 同誌では諫山の幼少期から、影響を受けたマンガ、そして『進撃の巨人』の伏線や謎、完結に向けての“これから”について、たっぷり語っている。

取材・文=大寺 明/ダ・ヴィンチ10月号「進撃の巨人特集」