司馬遼太郎の描いた坂本龍馬のウソ・ホント【日本初の新婚旅行はウソだった】

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/21

「新婚旅行である。
この男は、勝からそういう西洋風俗があるのをきいている。いっそのこと、風雲をそとに、鹿児島、霧島、高千穂と、おりょうを連れて新婚旅行にまわるのも一興ではないか。(中略)
『縁結びの物見遊山だぜ』
この風俗の日本での皮切りは、この男であったといっていい」

上記は司馬遼太郎『竜馬がゆく』(文藝春秋)で描かれた「日本で初めての新婚旅行をしたのは坂本龍馬だ」というエピソードである。テレビの雑学クイズ番組などで耳にしたことがある方も多いと思うが、実はこれは嘘。龍馬と妻のおりょうが2人で南九州に滞在したのは史実だが、実際は新婚旅行などという意識はまったくなく、結婚式を挙げたのも、この旅の2年近く前だったという。

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このように、国民的作家・司馬遼太郎は作品を組み立てる上で、いくつもの史実を捨て去っている。その捨てられた部分に光を当てたのが、『司馬遼太郎が描かなかった幕末』(一坂太郎/集英社)だ。

冒頭の坂本龍馬を例に挙げよう。例えば、彼には“大器晩成型の大物”“枠にとらわれない自由人”“時代の先を見ていた” といったイメージがあり、龍馬なくしては日本の夜明けはなかったかのような印象を抱いている人もいるだろう。しかし、これらは司馬作品の影響を非常に大きく受けており、後の小説やドラマ、アニメなどの龍馬像の原点になっているそうだ。

具体的に、司馬作品と現在史実として判明している事柄を比較してみよう。

●船中八策
『竜馬がゆく』では、龍馬が後藤象二郎と土佐藩船に乗って、長崎から京都に向かう船中で、幕府亡き後の日本の青写真を語り、長岡謙吉に口述筆記をさせている。
史実では、原文書どころか、当時の史料にもそれらしい存在が見当たらないため、後世の創作との説が有力である。

●薩長同盟
『竜馬がゆく』では、会談中、龍馬が桂小五郎を前に、いつまでも黙している西郷隆盛に「長州が可哀そうではないか」と一言告げ、これで薩長連合は成立したとされる。
史実では、会談中に内乱を避けるため、また長州の朝敵の烙印を消すため、薩摩が尽力する方向で折れており、龍馬が手を結ばせたという記録はない。しかも、会談自体も龍馬不在で始まっている(数日に渡って行われた会談の中で同席したことは事実)。

●小倉戦争
『世に棲む日日』では龍馬の登場はないが、『竜馬がゆく』では、下関を訪れた龍馬と亀山社中の数名が、高杉晋作の求めに応じて2度の海戦に参加している。
史実を見てみると、少なくとも2度目の海戦時、龍馬は下関におらず、龍馬が到着した時にはすでに長州軍勝利のうちに戦争は終わっていた。

●海援隊
『竜馬がゆく』における海援隊は、海上討幕会社であるとして、龍馬を商売人の革命家という風に強調している。
しかし、史実の海援隊は、海軍兵学校という側面をもつ。藩士たちがここで海軍兵としての基礎を学んだのである。

●いろは丸事件と「万国公法」
『竜馬がゆく』では、いろは丸が紀州藩の船と衝突して沈没したときに、『万国公法』(国際法)を使って賠償金を獲得している。
一方の史実では、『万国公法』など使わずに事件を処理。司馬は『万国公法』を海上交通規則だと誤解しているようだが、実際には国際法と国内法との関係や領海の説明などが書かれた物だという。

司馬は小説家なのだから、フィクション(嘘)が書いてあったって何の不思議もない。しかし、一坂氏は述べる。「すでに多くの日本人にとって司馬遼太郎作品は“歴史教科書”と化してしまっている」と。

あえて言うならば、フィクションなのに、読者がさもノンフィクションを読んでいるかのように錯覚してしまうのが、司馬の魅力でもある。一坂氏は、「史実と違っているからといって作品の価値が上下するわけではない」とした上で、執筆の動機を、注目され続ける司馬作品だからこそ、「その読み方、楽しみ方をもうちょっと考えてみませんか」と提案するのだ。

本書で触れられるのは、龍馬の他、吉田松陰、高杉晋作の計3人。「司馬作品の魅力にケチをつけるなんて!」と嘆くのは、ナンセンス。本書は、司馬作品が、その物語と史実、そして作者の意図、3本立てで楽しめることを教えてくれるのだから。

文=奥みんす