【執拗なマスコミの取材攻勢が原因?】和歌山毒物カレー事件、林眞須美「ホースで水かけ」映像の裏にあったもの

社会

公開日:2014/10/2

 黒いTシャツを着た中年の女性が、半笑いしながらカメラを持った報道陣にホースで水をかけている。1998年の夏の終わりから秋にかけて、こんな映像が繰り返しTVのワイドショーで流れていた。「和歌山毒入りカレー事件」の容疑者として逮捕され、死刑判決を受けた林眞須美である。

 98年7月、和歌山市園部で開かれた夏祭りにおいて、カレーのなかに毒物のヒ素が混入され、4人もの命が奪われるという事件が発生する。事件後、シロアリ駆除のためにヒ素を所有していた近隣の住人、林家の夫妻である健治と眞須美が捜査線上に浮上する。連日マスコミは林家の前に陣取り、逮捕されるまで林夫妻の姿を追い続けた。

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 思えば「過熱報道」という言葉がこれほど相応しい事件はなかった。マスコミは「報道陣にホースで水かけ」の映像を何度も流すことで、林眞須美=「マスコミを挑発する大胆不敵な女性」というイメージを視聴者に与えたのである。

 でも、あのとき林眞須美に対して抱いた印象は、本当に彼女の実像をあらわしていたものなのだろうか。事件から16年が経ち、あの狂乱を冷静に振り返ってみると、ふとそんな思いに駆られる。

『和歌山カレー事件 獄中からの手紙』(林眞須美、篠田博之、林健治/創出版)は、雑誌『創』に掲載された眞須美の手記や、逮捕前の林夫妻へのインタビューなどをまとめたものである。第1章は05年~08年にかけて大阪拘置所から『創』編集部や家族に宛てた手紙、第2章は逮捕前の98年9月に収録された林夫妻や逮捕後の家族の証言、第3章は死刑確定後の眞須美の言葉と、有罪判決の決め手となったヒ素に関する再検証のレポートが収められている。

 当時の騒動の内幕を知るには、第2章にある林夫妻のインタビューを読むのが良いだろう。収録時、渦中の人物としてマスコミに追われていた2人の口から出たのは、限度を越えた報道関係者たちの行動の数々だ。

 98年8月25日の保険金をめぐる新聞報道を切っ掛けに、マスコミのターゲットとなった夫妻は押し寄せるテレビや雑誌の取材に困惑していた。

 ある実話系週刊誌は取材を断ったにも関わらず、後日謝礼だといって5万円を持参し、何とか林家に上がろうとドアを叩き、受け取ってくれるまで帰らないと突っ張る。また、あるスポーツ紙は「怪しい」とう噂の段階で夫・健治の顔写真を堂々と掲載した。その記事に対し、健治が「過ぎたことだから」と許したような発言をしたと知ると、記者は家に駆けつけ「本当の男の生き方を教えてもらいました」と謝罪したかと思えば、その数日後にはまた紙面で健治を叩く記事を書く。報道被害は夫妻だけでなく子供たちにも飛び火し、ある写真週刊誌は「冷血!和歌山毒入りカレー殺人犯と保険金殺傷疑惑」と称した特集で眞須美と間違って娘の写真を載せてしまう。

 家の前には24時間体制で数十人の報道陣が待機し、車のエンジンをかけただけでも直ぐに群がってくる。夜中の12時過ぎでもライトを付け、周囲にはタバコの灰からジュースの空き缶、弁当の空箱が散らかっていた。娘が窓を2階の窓を開ければ目の前には脚立がある。カメラマンが家の中を覗くために設置したものだ。郵便ポストの手紙が何回も引き抜かれ、こっそりと封を開けられて中身を見られた形跡もあったという。

 ただ疑惑がある、という段階でここまで熾烈な報道合戦に巻き込まれ、無関係な家族を巻き込んで良いものだろうか。実は例の「報道陣に水かけ」も、このマスコミの態度に業を煮やした健治が「頭から水をぶっかけてあいつらの頭を冷やしてやれ」と眞須美に命令したものだそうだ。

 視聴者は「ホースで水かけ」を、林眞須美という女性のキャラクターを捉えた瞬間だと思い観ていた。しかし「ホースで水かけ」は、実はマスコミの熾烈な報道合戦の果てに生まれた産物だったのではないだろうか。

 和歌山毒入りカレー事件については証拠の脆弱性を訴える声や、物的証拠であるヒ素の再鑑定を望む声もある。林眞須美は09年5月に最高裁判決に対する判決訂正申立書の棄却決定がなされ、死刑が確定したが、彼女は今も獄中から無罪を主張している。

文=若林踏