トーベ・ヤンソンが過ごした、ムーミンファンの集う島・クルーヴ島

海外

公開日:2014/10/21

 フィンランドのペッリンゲは、大小、さまざまな島が連なる群島だ。トーベが幼少の頃から夏を過ごした場所で、ここにヤンソン島とも呼ばれるクルーヴ島(ハル)がある。この夏のクルーヴ島は、“トーベの生誕100年を祝う”ために、多くの人がこの地を訪れた。『ダ・ヴィンチ』11月号の「大人になるためのムーミン」特集では、そんなクルーヴ島のこの夏のにぎわいや様子を、ムーミン研究家の森下圭子さんが現地写真とともに紹介している。

――フィンランド人が一度、「クルーヴ島の魅力をこのムーミンが好きな日本人に伝えたい」と思ったら、彼らはとまらない。とめどなくクルーヴ島について熱く語ってしまうのだ。まだ行ったことがなくてテレビで見ただけの人でさえ、10回以上行っていると答えている私に先輩面で嬉しそうにクルーヴ島を語るのだから、かわいい。この無邪気さというかまっすぐさはフィンランドの真骨頂だと私は思っている。こういうところがたまらない。クルーヴ島の魅力はムーミンを読むようにいつだって強烈で新鮮だし、人々の「自分がそうしたいと思ったことはどんな状況であれ夢中でやる」感じは、なんともムーミン谷の仲間たちのようだ。

 さてクルーヴ島に1週間滞在することになり、私はこれまで以上にクルーヴ島のある群島地域に通うようになった。ペッリンゲと呼ばれるヘルシンキから東に80キロメートルの大小の島が連なるこの地域は、トーベ・ヤンソンが子どもの頃から夏を過ごしたところ。当然ここにはトーベが親しくしていた人たちが何人もいた。でも、見知らぬ人たちに対して、トーベのことがなかなか語られることがなかった地域でもある。トーベのことを売るような後ろめたさもあったのだろうし、大切な思い出は自分だけの中にしまっておきたい人たちもいただろう。そんな彼らを変えたのはトーベ・ヤンソン生誕100年だった。トーベについて知っていることを皆で分かち合いながら、トーベの100年をお祝いできたらと思う人たちが増えてきたのだ。そして一度その気持ちに火がつくと、彼らはたくさんのエピソードを思い出しては語ってくれた。島にただひとつの商店の中庭でアイスのひとつも食べていれば、誰かしらやってきて、なんとなく会話が始まる。トーベの展示を見ていると、誰かがやってきて写真や絵の中のエピソードを語ってくれることもある。トーベについてのお芝居を見ながら、休憩時間にペッリンゲの習慣を教えてくれる人、トーベには独特の言い回しがあったり、いろんなものに勝手に自分で名前をつけていた、それがどんなものか教えてくれたり。

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 クルーヴ島での1週間。人々のいろんな話を思い出しながら、クルーヴ島でのトーベとトゥーティの暮らしぶりを想像したり、じっくりとムーミンのシリーズを再読したりしていた。床に寝転がってムーミンを読んでいたら見つけた秘密の引き出し、子どもの頃のトーベのように懐中電灯で読書し(小屋には電気がない)、ふと眺めたときの部屋を覆う闇の様子。そうそうトーベは10代の頃から勝手に小屋を建てて一人で泊まったりしたというけれど、最初に建てた小屋での初めての晩は、強風を、誰かが小屋に押し入ろうとしている音と信じ込んでしまい怖くて眠れなかったのだという(翌日あわてて逃げ穴を作ったとか)。クルーヴ島に強い風が吹くと、夜はとたんに騒がしくなり、誰かがテラスを歩いているような音がしたり、ひどいときは誰かがドアを開けようとしているように聞こえた。またペッリンゲの風景や暮らしが、そのままムーミンになっているなと実感することの多い1週間だった。

 

もりしたけいこ●1969年、三重県生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。ムーミンとその作家トーベ・ヤンソンの研究のために94年の秋、フィンランドへ渡る。ヘルシンキ大学での研究のかたわら芸術プロデュースの仕事を経て独立。現在はムーミンの研究をはじめ、フィンランド絵本の翻訳、各種コーディネートなどの仕事で幅広く活動している。映画『かもめ食堂』のアソシエート・プロデューサーも務めた。

森下圭子のフィンランドムーミン便り(ムーミン公式サイト)

写真・文=森下圭子/『ダ・ヴィンチ』11月号「大人になるためのムーミン特集」より